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第38大平正芳記念賞受賞者

『<沈黙>の自伝的民族誌(オートエスノグラフィー)-サイレント・アイヌの痛みと救済の物語』(北海道大学出版会 2020年)

石原 真衣
(北海道大学アイヌ・先住民研究センター准教授)
地球上の多くの先住民の土地と同様に、北海道はかつて「無主の地」「処女地」とみなされ、持続可能な暮らしをしていたアイヌ民族は土地への侵略と文化などの収奪により困難を余儀なくされた。この記憶は多くの日本国民のなかで不在あるいは忘却の彼方にあるが、アイヌ民族の子孫自身がその記憶を継承できずにいることも重要である。死者を弔うことすらできなかった時間が「北海道150年」だったとすれば、拙著『〈沈黙〉の自伝的民族誌』の刊行は死者を弔い、生者の暮らしの中に死者と記憶を置きなおすための儀礼だったともいえる。「西洋」と「非西洋」のあいだにあるかのような日本には、弔われることを待っている多くの死者がいるのではなかろうか。
大平氏の孫娘でおられる渡邊満子氏が上梓された『祖父 大平正芳』からは、大平氏がもつ片隅で生きる人間へのあたたかい眼差しや、聖トマス・アクィナスとの出逢いによる大平氏の人間観―他者に助けられ、自らの豊かさを人々と分かち合う存在―について学ぶことができた。渡邊氏のご高著に記された大平氏の人生および哲学に出逢えたことはとても幸福な経験だった。政治に対して無関心や不信のもとで自己形成した私のような世代にとって、大平氏の崇高であたたかい政治的および人間的信念は、「ケアしあう」社会の実現に向けて次世代の感性を養う重要なものであり、この度の大平正芳記念賞を賜わったことで私の今後の大学教育の方向性をも与えていただいた。
先住民とはかつて「国家に抗する社会」を築き、また、その植民地主義的経験から個別具体的な痛みと顔と物語を携えている人びとである。自民党のなかでも保守本流とご自身を位置付けた大平正芳元総理大臣の名を冠した名誉ある賞が、このような日本の歴史における弔いの書に与えられ新たな未来を拓くことに、心よりの敬意を表したい。

略歴
北海道サッポロ市生まれ。アイヌと琴似屯田兵(会津藩)プラスアルファのマルチレイシャル。大学卒業後、高校、専門学校等で勤務したのち、北海道大学大学院文学研究科に入学し、同大学院博士後期課程修了。博士(文学)。〈 沈黙 〉や透明人間をキーワードに海外の様々な先住民や、国内の様々な少数者や当事者と共に研究を行っている。専門は、文化人類学、先住民研究、先住民フェミニズム。編著 『 アイヌからみた北海道 150 年 』 北海道大学出版会( 2021 年)など。

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