昭和54年(1979)   11月
1日 10時国会で田中官房長官らと打ち合せ。11時すぎ党本部へ。14時前国会へ移り待機。17時半、党本部に行き福田氏と西村副総裁の会談に合流。中曾根、三木両氏も参加して会談。妥協案の試みも成功せず。西村副総裁から福田氏との会談結果をきき、22時半帰邸
2日 10時20分党本部へ。11時半衆参両院議員総会に出席。14時半国会へ。首相指名のための本会議開けず5日に延期。この間西村副総裁、斎藤幹事長、金丸国対委員長ら多数と会談。21時45分私邸へ
3日 10時14分皇居での文化勲章伝達式。11時半私邸に戻る。佐々木副幹事長、田中官房長官、鈴木善幸、伊東正義代議士ら多数と協議
4日(日) 9時すぎ私邸に佐々木副幹事長が情勢報告。10時半玄関前で記者団のインタビュー。宏池会関係者などの出入りが続く
5日 9時45分国会着。大臣室で徳永参院議員会長らが参院側の意向を申し入れ。正午から党本部総裁室で福田前首相と会談。14時45分、三木元首相と会談。17時まえから国会内大臣室で福田氏と再会談。「次の党大会で総裁の改選を行う」などの調整案が出るも、合意に至らず。衆院本会議延期。19時半帰邸
6日 10時皇居で叙勲の親授式。国会で斎藤幹事長、田中官房長官らと協議。12時50分、党代議士会。13時、衆院本会議で首相指名の第1回投票。大平135票、福田125票。14時20分再び衆院本会議で決選投票。大平138票、福田121票で首相指名を受ける。衆参両院議長と各党へ挨拶回り。16時官邸執務室で党五役、田中官房長官と協議。19時すぎ福田前首相、三木元首相を私邸に訪ね挨拶
7日 9時半中曾根氏を事務所に訪ね会談。官邸で西村副総裁、斎藤幹事長、倉石総務会長、河本政調会長、徳永参院議員会長と党人事や組閣について協議。20時すぎ帰邸
8日 党五役と昼食、党人事は当面そのままとして組閣に入る方針を固める。13時から河本、倉石、徳永氏と、13時半から西村、斎藤、徳永氏と会談。15時半、再び河本、倉石氏が非主流派の考えを報告。18時、伊東正義代議士を新官房長官として呼び入れ、組閣開始。20時40分閣僚名簿発表。21時半、組閣作業を終えて帰宅、「ああ、ひと山越えたなあ」と語る
   
1日 日銀、公定歩合を1%引上げて6.25%にする
2日 自民党の党内抗争が激化し、主流派は党本部の衆参両院議員総会で大平首相を、非主流派は「自民党をよくする会」の議員総会で福田前首相を、それぞれ首相指名候補とすることを決定
7日 イランの政情不安などで円相場が下落し、東京外為市場は終値一ドル=240円20銭となり、53年2月以来の240円台となる
   
1日 ボリビアで軍事クーデータが発生、ナッシュ大佐が大統領に就任
3日 ソウルで朴正煕韓国大統領の国葬。日本から首相特使として岸信介元首相が参列
4日 イランの学生らがパーレビ前国王の米国滞在に抗議しイスラム革命法廷にかけるために身柄の引き渡しを要求して、テヘランの米国大使館を占拠、60余人の館員を人質に
6日 バザルガン・イラン内閣総辞職
69歳
  昭和54年(1979)   第二次大平内閣
11月
9日 10時親任式と認証式のため皇居へ。官邸で辞令交付。正午閣議。直ちに綱紀粛正と行財政の刷新を指示。新閣僚と冷酒で乾杯。中庭で記念撮影。16時から東宮御所など各宮家へ挨拶
10日 9時官邸で内閣記者会と会見。15時帰宅
11日(日) 秘書官らとゴルフ。17時半私邸に伊東官房長官夫妻が食事に
12日 11時半迎賓館でシュトローガル・チェコスロバキア首相の歓迎行事。15時官邸で同首相と第1回会談。17時まえ党本部で西村副総裁と会談。19時半官邸で同首相歓迎夕食会
13日 政務次官に辞令交付、政務次官会議で挨拶。皇居でシュトローガル首相歓迎昼食会。午後、党本部で福田前首相、三木元首相、中曾根元幹事長の順で会談
14日 10時、環太平洋連帯研究グループ会合に出席。10時半特別国会開会式。南西アジア地域大使会議出席メンバーと昼食会。19時すぎチェコ大使館でシュトローガル首相主催夕食会
15日 9時半、官邸でシュトローガル首相と第2回会談。正午まえ皇居で天皇陛下に地方事情ご説明の知事らと午餐。14時半迎賓館で同首相歓送行事。17時まえ党本部で西村副総裁と会談
16日 牛場信彦氏ら日米賢人グループ日本側委員が挨拶。中国映画訪日代表団が表敬。昼、衆院文教委員会で兼務中の文相として挨拶。党新三役に桜内義雄幹事長、鈴木善幸総務会長、安倍晋太郎政調会長を決め、「党内の垣根なくす努力」を要請
17日 正午、東南アジア青年の船歓迎会。13時すぎ故堀田晴子氏(堀田庄三住友銀行名誉会長夫人)の一周忌に出席
18日(日)青梅市の東京バーディクラブで大平会のゴルフ
   
 
9日 第二次大平内閣の発足総理=大平正芳、法務=倉石忠雄、外務=大来佐武郎、大蔵=竹下登、文部=大平(兼務)、厚生=野呂恭一、農水=武藤嘉文、通産=佐々木義武、運輸=地崎宇三郎、郵政=大西正男、労働=藤波孝生、建設=渡辺栄一、自治=後藤田正晴、官房=伊東正義、総務=小淵恵三、行管=宇野宗佑、防衛=久保田円次、経企=正示啓次郎、科技=長田裕二、環境=土屋義彦、国土=園田清充
10日 大平首相の記者会見内容(1)新自クとの協力は公党間の話し合いで進める(2)一般消税の来年度導入は考えていない(3)12月5日から9日まで訪中する
16日 14日に開会した第89特別国会は、大平首相の所信表明演説もないまま閉会
   
 
9日 国連安保理は、テヘランの米大使館占拠問題について、人質解放とワルトハイム事務総長による仲介工作を要求する声明を発表
12日 カーター米大統領はイラン原油の全面輸入停止を発表。イラン革命評議会も対米原油輸出全面禁止を発表
14日 イランは在米銀行預金総額一二〇億ドルの引き揚げを決定。カーター大統領は米国内のイラン公的資産を凍結すると発表
 国連総会本会議は、インドシナ半島での即時停戦とカンボジアからの外国軍隊の撤退を求めるASEAN提案の決議案を大差で可決
69歳
  昭和54年(1979)   19日 10時米大リーグのルー・ブロック、巨人軍の三選手が表敬。政府広報用に渡部昇一上智大教授、佐藤誠三郎東大教授と対談。春芳会。14時河野新自ク代表と会談。ノーマン・マクレー英エコノミスト副編集長がインタビュー。故愛知揆一元蔵相7回忌。21時官邸に谷垣専一代議士を呼び文相就任を要請
20日 宮城まり子氏ら児童関係功労者に対する総理大臣表彰式。内閣記者会キャップと昼食懇談。中国報道関係者のインタビュー。16時15分、谷垣文相の認証式で皇居へ。官邸で谷垣文相へ辞令交付
21日 猪木正道平和安全保障研究所長らとの朝食会で国際情勢をきく。インガソル元駐日米大使、グレイ・シカゴ大学総長が挨拶。香港日本経済委のY・K・カン会長が表敬。ニューヨーク・タイムズのレストン記者がインタビュー。13時半所信表明演説検討会
22日 総合エネルギー対策推進閣僚会議。訪中勉強会。党五役、党改革推進本部の根本第一、福田第二委員長らと昼食懇談。NHKホールでの全国商工会連合会大会で挨拶。報道各社論説委員と懇談。16時、所信表明演説検討の臨時閣議。行政改革問題で竹下蔵相、宇野行管庁長官、伊東官房長官と協議
23日 19時、皇居での新嘗祭夕の儀に参列
24日 スリーハンドレッド・クラブでゴルフ
25日(日) 私邸に竹下蔵相、伊東官房長官が国際科学技術博で協議に
26日 10時日本・ASEAN経済閣僚会議開会式で挨拶。官邸にグラベル米上院議員ら表敬。党両院議員総会で挨拶。日・ASEAN経済閣僚会議メンバーと昼食会。報道各社経済部長と夕食懇談
27日 物価対策閣僚会議。13時山中党税制調査会長と税制改正問題で打ち合せ、軍恩連盟全国連合会25周年記念大会で挨拶。14時衆院本会議で所信表明演説、自民党内抗争のため国政に混乱と停滞を招いたことを詫びるとともに、エネルギー対策、財政再建、綱紀粛正と政治倫理の確立、行政の整理と簡素化などを強調。15時参院本会議で同じく所信表明演説
28日 現太平洋連帯研究グループの飯田経夫名大教授らと朝食会。符浩駐日中国大使が表敬。午後、町村議長全国大会で挨拶。第一次大平内閣政務次官と懇親会
29日 9時李連慶中国放送代表団長らが表敬。伊東官房長官、大来外相らと訪中勉強会。党改革推進本部総会で挨拶。エクアドル国会のメダルド・モラ・ソロルサノ議員らが表敬。13時衆院本会議場で代表質問。桜内幹事長が党改革推進本部総会の報告
30日 10時、参院本会議で代表質間。足立篤郎党行財政調査会長らと昼食。14時衆院本会議で代表質問。大来外相らと対中借款で協議
  19日 社会党党首として初めて13日訪米した飛鳥田委員長は、ニューヨークのジャパン・ソサエティの講演で日米安保条約の「合意による廃棄」の方針を明示


















26日 第90臨時国会が召集され会期を16日間と決める
 日本とASEANの初の経済閣僚会議が27日まで開催
 新自クの河野代表が辞任し田川幹事長が代表代行に就任
 





20日 サウジアラビアの聖地メッカで、カーバ神殿のある大寺院が武装グループに占拠され、サウジ軍が出動して銃撃戦となり死者多数
22日 20日からチュニスで開かれていた第10回アラブ首脳会議は、あらゆる分野での総合戦力で対イスラニル闘争を強化する決議を採択し閉会
26日 国際オリンピック委員会(IOC)は中国のIOC復帰を認める
28日 ニュージーランド航空のDC10型旅客機が南極大陸のエレバス山に墜落、日本人乗客24人を含む257人全員が死亡
69歳


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