昭和55年(1980)   1月
1日 皇居の新年祝賀の儀。党本部の新年祝賀会。正午から東宮御所、各宮家へ挨拶。13時から公邸で新年の挨拶を受ける
2日 佐々木丸茶社長、森田秘書官、三男明らとゴルフ
3日 10時すぎから私邸に遠藤神崎製紙社長ら多数が新年の挨拶
4日 8時12分東京駅発、正午すぎ伊勢神宮を参拝。13時20分記者会見。18時57分東京駅着
5日新年初の閣議ののち乾杯。伊東官房長官らとアフガニスタン問題で協議。午後、化粧品業界連合新年会で挨拶
6日(日) 森田、於久両秘書官、三男明らとゴルフ
7日 吉田工業新年会。化学業界合同新年会。午後経済四団体新年祝賀パーティ。官邸で豪州、ニュージーランド訪問の勉強会
8日 J・L・メナデュー駐日豪大使が表敬。内閣記者会キャップと昼食懇談。宮崎茂一行管政務次官と行政改革で懇談。内外情勢調査会の新年会
9日 10時半ミラー駐日ニュージーランド大使が表敬。訪豪、ニュージーランドの勉強会。午後、ウルフ米下院議員ら一行が表敬
10日 10時12分東京駅発大阪へ。関西経済5団体主催「総理との懇談会」で講演。記者会見。地元代表らと夕食懇談。22時20分東京駅着
   














8日 政府は、ソ連のアフガニスタン軍事介入への対抗措置として、ベトナムヘの経済協力凍結を継続する、ソ連政府がグロムイコ外相の来日を通告してきても当面は断る、などの方針を打ち出す
10日 社会党と公明党は政権協議委員会で、連合政権構想について正式に合意し、原則として共産党を含めないことを確認
   
1日 ワルトハイム国連事務総長は、米大使館人質事件の解決のためイランに到着するも、ホメイニ師との会談が実現せず4日帰任
4日 カーター米大統領は、ソ連のアフガニスタン軍事介入に対する強硬な報復措置として、経済制裁のほかモスクワ五輪のボイコットも辞さないと発表
6日 アフガニスタン問題緊急安保理でバングラデシュ、フィリピンなど非同盟5カ国が、アフガニスタンからの外国軍隊の即時無条件撤退を骨子とする決議案を提案。ソ連の拒否権により7日、否決
69歳
  昭和55年(1980)   11日 総合エネルギー対策推進閣僚会議。米タイム誌のインタビュー。12時半日本プレスセンターで講演。午後報道各社政治論説委員と懇談。豪州、ニュージーランド訪問の結団式。古河電工新年会。私邸で環太平洋連帯構想の勉強会
12日 外務省からイラン・アフガニスタン問題の情勢報告。伊東官房長官、加藤、翁両副長官、秘書官らと施政方針演説検討会。昼食後も引き続き検討会。私邸近くの書店に立ち寄る
13日(日) 主治医が定期検診。於久秘書官、長女森田芳子らとゴルフ
14日 10時ブラウン米国防長官と会談。午後ロス米上院議員らが表敬。経団連の土光、大槻、平岩正副会長が経済運営で面談に
15日 8時16分私邸を出て羽田へ。「80年代の外交の出初め式みたいで緊張している」と語る。9時10分日航特別機で豪州、ニュージーランドに出発。夫人、大来外相、加藤官房副長官らが同行。18時45分キャンベラのフェアバーン空港着。レークサイドホテルに
16日 9時50分議会前広場で歓迎行事。10時フレーザー豪首相と第1回会談。総督主催昼食会。戦争記念館に献花。第2回首脳会談、国際情勢、資源開発協力などで意見交換、環太平洋連帯構想の具体化に取り組むことで合意。内外記者会見。同首相夫妻主催晩餐会
17日 フレーザー首相と官邸で朝食会。10時40分キャンベラ発、11時40分メルボルン着。12時半ナショナル・ギャラリーでの同首相主催午餐会で「太平洋時代における創造的協力関係」と題して講演。15時メルボルン発、20時25分ニュージーランドの首都オークランド着。サウスパシフィックホテルに入る
18日 9時半戦争記念館に献花。10時半第1回首脳会談、マルドゥーン・ニュージーランド首相夫妻主催午餐会。14時45分第2回首脳会談。日本・ニュージーランド航空協定に署名。共同記者会見。在留邦人との懇談。19時半同首相夫妻主催夕食会
19日 農場視察。11時オークランド空港発、12時20分シドニー着。宿舎ウェントワースホテルでランNSW州首相の表敬を受ける。15時湾内クルーズを楽しむ。東京から陸上自衛隊幹部によるソ連大使館武官への情報提供事件の報告を受ける。同行記者と懇談。シドニー日本商工会議所レセプション。総領事公邸で夕食
  11日 政府は総合エネルギー対策推進閣僚会議で石油消費7%節約策として、(1)暖房は18度以下にする(2)国家公務員のマイカー通勤原則禁止(3)深夜営業は午後10時まで(4)4月から午前零時以降のテレビ自粛などを決定
17日 米政府のハビブ特使が伊東官房長官に対し、イラン経済制裁、アフガニスタン問題についての対ソ制裁について日本の同調を求める
18日 防衛庁の元陸将補と現職尉官2人が防衛機密をソ連情報機関に渡していたことがわかり、警視庁に逮捕される
 








13日 国連緊急安保理で米国提案の対イラン経済制裁案を票決、ソ連の拒否権で否決
14日 アフガニスタン問題国連緊急特別総会は、バングラデシュ、パキスタンなど非同盟諸国17カ国が提案した全外国軍隊の即時・無条件撤退、アフガニスタンからの難民救済などの決議案を、賛成大多数で採択
 インディラ・ガンジー夫人が33ヵ月ぶりに再びインド首相に就任
69歳
  昭和55年(1980)   20日(日) 10時シドニー発、12時40分ニューギニアの首都ポートモレスビー着。空港近くの迎賓館でソマレ首相と会談。14時55分ポートモレスビー発、20時12分羽田着
21日 11時皇居で帰国記帳。官邸で後藤田国家公安委員長、山本警察庁長官が自衛隊スパイ事件の報告。午後谷垣文相、大来外相とモスクワ五輪問題で協議。大来外相らとイラン・アフガニスタン問題で協議。党本部で党選対委員会
22日 8時半藤波労相と産業労働懇談会。党本部で青年部婦人部合同全国大会、全国幹事長会議。日本記者クラブ主催昼食会で講演。午後官邸でスポーツ功労者レセプション。施政方針演説の検討会
23日 10時日比谷公会堂で第37回党大会。午後、官邸中庭で党大会出席者を招きパーティ。14時福田前首相と会談し党内運営、国際情勢について意見交換。15時施政方針演説検討の臨時閣議。文化の時代研究グループと会合。内閣記者会キャップと懇談。製紙グループの会
24日 朝、二木会。李強中国対外貿易部長らが表敬。NHK「総理にきく」で秋田、名古屋をつなぐ多元放送の録画撮り。午後、駒場留学生会館で留学生と懇談。報道各社政治部長と懇談。18時施政方針演説決定の臨時閣議
25日 11時、第91回通常国会開会式。11時半官邸で三木元首相と会談、小選挙区制、イラン問題などを話し合う。13時衆院本会議で施政方針演説、ソ連のアフガニスタン武力介入を批判して対ソ輸出規制の強化を表明し石油依存体質からの脱却を訴える。15時参院本会議で同演説。17時官邸で中曾根元幹事長と総裁予備選問題などで会談。18時松平忠寿氏(元貴族院議員)の白寿祝いに夫人と出席
26日 10時伊東官房長官、大蔵省の田中主計局長、高橋主税局長らと予算審議の打ち合せ。16時私邸に速水都立大教授、佐藤東大教授が政策構想フォーラムの食料備蓄の提言を説明に
27日(日) 夕方私邸で伊東官房長官と代表質問等の打ち合せ
28日 官邸で代表質問答弁の準備。13時衆院本会議で代表質問
29日 国会大臣室で大来外相、伊東官房長官と中東特使の打ち合せ。10時、参院本会議で代表質問。14時衆院本会議で代表質問
30日 10時参院本会議で代表質問。春芳会。13時再び参院本会議。衆参両院予算委で予算案提案理由説明
31日 9時衆院予算委員会。昼、グスタボ・ボルマー世界スカウト財団理事長が表敬。13時再び予算委員会
  20日 自民党本部は54年度党員登録を締切ったが、党員党友総数は321万1111人と前回の2倍に達した
23日 自民党第37回定期大会で野党との対決色を鮮明にした運動方針を決定
29日 大平訪中の際に贈られたパンダ・ホアンホアンがカンカンの花嫁として、北京動物園から上野動物園に入る
 








22日 ソ連の反体制指導者でノーベル平和賞受賞者の物理学者サハロフ博士は、国家への反逆を理由にすべての名誉を剥奪され、夫人とともに国内流刑される
26日 イスラエルとエジプト両国は正式に国交を樹立
28日 イランで25日行われた初の大統領選挙の結果、バニサドル経済・財政相が当選。サウジアラビアが原油価格を1月1日にさかのぼって一バレル当たり2ドル引き上げ26ドルとすると通告
29日 イスラム諸国緊急外相会議は、アフガニスタン介入のソ連軍の撤退を要求し、モスクワ五輪への不参加、カルマル政権の不承認などを勧告する決議を採択
69歳


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