昭和55年(1980)   5月
1日 8時上院指導者と朝食会。9時半下院指導者と茶会、「イラン人質問題、アフガニスタン武力介入だとの挑戦に対処するため米国とのゆるぎない協力関係を最も重視している」と強調。正午、ホワイトハウスでカーター大統領と非エネルギー研究開発協力協定に署名。昼食しながらの日米首脳会談で「共存共苦」の関係を強調。14時南庭ローズガーデンでスピーチ。17時30分ワシントン発19時50分メキシコ市ベント・フォレス空港着。ロペス・ボルティーヨ大統領が出迎えて歓迎。宿舎カミノ・レアルホテルに入る
2日 10時20分大使館訪問後、チャプルテベック公園の「祖国への祭壇」で献花。11時第1回首脳会談。12時半ホテルで経済界代表と懇談。大使公邸で昼食後、日墨学院、メキシコ市庁舎訪問。20時30分外務省で大統領夫妻主催晩餐会。夜、宿舎で同行の各省局長らと石油増量と経済協力問題で打ち合せ
3日 10時第2回首脳会談。冒頭二人で話し合い。12時頃人類学博物館訪問。14時半在留邦人レセプション。共同声明発表、その中で石油増量問題で日本の要請に配慮する政治的決意と善意を表明。17時半内外記者会見。20時30分首相夫妻主催晩餐会
4日(日) 11時メキシコ市発。カナダヘ向かう機中でチトー・ユーゴスラビア大統領の訃報を受ける。17時45分オタワ・サウス軍用基地着。宿舎リドー・ゲートでチトー大統領の国葬に参列を決定
5日 10時15分国会議事堂前広場で歓迎式。10時45分議事堂内で第1回首脳会談。トルドー首相主催昼食会。14時15分議会で「太平洋をはさむ隣人」と題して英語で講演。宿舎でテレビインタビューとクラーク前首相の表敬。在留邦人とのレセプション。大使公邸で同行記者団と懇談夕食会
6日 9時半オタワ発11時30分ヴァンクーバー着。宿舎のハイアット・リージンシーホテルに。午後スタンレーパーク訪問。14時30分同ホテルで第2回首脳会談。共同声明発表。17時15分内外記者会見。在留邦人とのレセプション。19時15分、トルドー首相主催晩餐会
7日 8時ヴァンクーバー発、アンカレッジ経由で西独へ
8日 早朝ボン国際空港に到着、給油の後8時20分ベオグラードに到着。コステッチ蔵相の出迎えを受ける。議事堂内の故チトー大統領の棺に花輪を捧げ黙祷。大使公邸で休憩後、11時30分連邦議会前に到着。正午から国葬、15時30分に終る。その間連邦議会内でインド・ガンジー首相と会談したほか多数の各国首脳と挨拶。17時大使公邸で華国鋒首相と会談。夜、ベオグラードを発ち22時ボン国際空港着。宿舎シュタイゲンベルガー・ホテルに入る
9日 ホテルで吉野駐独大使らと勉強会。11時ラムスドルフ経済相が来訪、エネルギー問題、貿易問題で会談。12時45分シュミット首相が出席して首相府で歓迎行事。13時から2時間40分にわたり対ソ問題、イラン問題など国際情勢を中心に首脳会談。その後マットヘーファー蔵相と国際金融情勢について会談。夕方、ケルン市郊外のレフラート・ゴルフ場でゴルフ、19時半大使公邸で同行記者団、随員らと夕食懇談
   




































7日 北朝鮮の東海水域二百カイリ内での日本漁船の操業を認めた日朝間の漁業協定を、2年間延長する交渉がまとまる
9日 参院本会議で「明日香村における歴史的風土の保存及び生活環境の整備等に関する特別措置法」が全会一致で可決、成立
 妻の法定相続分を現行の三分の一から二分の一に引き上げる「民法及び家事審判法改正案」も、可決、成立
   





















4日 ユーゴスラビアのチトー大統領兼共産主義者同盟議長が心臓衰弱で死亡。87歳
5日 ニューヨーク全市場で金価格が急騰し、一方オンス=600ドルの大台にのせる
7日 OPEC臨時総会が開かれ、翌8日、イランの原油減産分の穴埋め増産は行わないことを決定して閉会
8日 故チトー大統領の国葬がベオグラードで行われ、大平、ブレジネフ、華国鋒、ガンジー、モンデール、シュミット、サッチャーなど115カ国の国家元首・首相が参列。国葬後、多彩な首脳外交が展開される
9日 OECDの騒音防止対策会議は、1985─90年までに自動車騒音を5─10ホン引き下げる勧告を決定
70歳
  昭和55年(1980)   10日 7時半ホテルでゲンシャー外相と朝食懇談。その後、デュッセルドルフ郊外のメットマンゴルフ場でプレー。デュッセルドルフ総領事館で休憩後16時ボン国際空港を出発。アンカレッジで給油
11日(日) 17時、日航特別機で羽田空港に帰国
12日 10時皇居で帰国記帳のあと春の叙勲親授式。11時すぎ官邸にクリアンサック前タイ首相が表敬。早川崇党倫理憲章起草委員長らが報告。午後皇居で春の叙勲伝達式。中内社長を祝う会
13日 アラブ連盟使節団が表敬。第1回国際障害者年特別委員会で挨拶。13時曾根益元民社党書記長の葬儀。14時衆院本会議で外遊報告、質疑。日本の防衛力増強問題で日本は自主的かつ真剣に検討していくと述べた、と説明。党選挙対策本部会議。製紙グループの会
14日 党外交調査会、安保調査会などと朝食会で外遊報告。国際人育成シンポジウムで挨拶。11時迎賓館でカミセセ・マラ・フィジー首相の歓迎行事。官邸に北大西洋評議会代表団が表敬。13時参院本会議で外遊報告、質疑。ゴンザレス・メキシコ市長が表敬。16時半横浜市で記者会見。政経文化パーティ。地元政界代表と懇談
15日 朝、二木会。9時半アスキュー米通商代表が表敬。10時15分マラ首相と会談。午後、米国の民間外交使節「フレンドシップフォース」一行が表敬。19時半マラ首相夫妻歓迎の夕食会
16日 8時イラン問題閣僚会議。10時党本部での両院議員総会で倫理憲章を決定。皇居でマラ首相歓迎昼食会。14時50分赤城宗徳代議士ら党刷新連盟の8議員が綱紀粛正など申入れ。15時35分西村副総裁、党三役(伊東官房長官など党、政府首脳らが協議し首相の回答を桜内幹事長が党刷新連世話人に伝達。16時51分党代議士会。17時半衆院本会議。反主流派が欠席し大平内閣不信任決議案が可決成立。19時6分臨時閣議。閣議で衆院解散、政府声明を決定。伊東官房長官、鈴木総務会長、角田内閣法制局長官らが残り衆院選の日程などで協議。21時50分帰邸
17日 朝私邸に伊東官房長官が総選挙日程や党内情勢などを協議に。9時迎賓館でマラ首相歓送行事。9時半党本部で西村副総裁、桜内幹事長、鈴木総務会長、徳永参院議員会長らと協議。10時党役員会。10時半内奏のため皇居へ。再び党本部で西村副総裁らと党五役会議。夜、私邸に環太平洋連帯研究グループ議長代行の飯田経夫名大教授らが研究結果を報告に
18日(日) 伊東官房長官、田中副幹事長らが来訪。党内情勢を協議
19日 10時50分高島外務次官が韓国問題などを報告。午後、千鳥ケ淵戦没者墓苑拝礼式。15時内閣、自民党両記者会の合同記者会見で「なんの迷いもなく解散の途を選んだ」と表明。17時環太平洋連帯研究グループの会合で報告書を受領
 








13日 4月の卸売物価が前月比2.7%上昇し、前年同月比24%の上昇となる
15日 アスキュー米通商特別代表と日本側関係者との協議で、自動車問題が一応決着。電電公社の資材調達開放を強く要請
16日 社会党提出の大平内閣不信任決議案が衆院本会議で自民党内の福田派、三木派など反主流議員69人が欠席したため、賛成243票、反対187票で、可決される
17日 政府、自民党は党役員会で19日に衆院を解散し、総選挙を6月22日に参院選挙と同日に行うことを決定
19日 衆院解散となり、第91通常国会は波乱の幕切れとなる。健康保険法改正案、政治資金規正法改正案、国鉄再建法案、国家・地方公務員法改正案などの重要法案が、すべて審議未了、廃案
  10日 第7回フランス・アフリカ首脳会議は、25カ国が参加して開かれ、英連邦のように「フランス連邦」を設立することを決定
15日 エジプトのハリル内閣が12日に総辞職したため、サダト大統領が首相を兼ね副首相6人の新内閣が発足
17日 EC外相会議がナポリで開催、22日から通商役務契約を停止するなどの第二次制裁の実施を決定
18日 韓国政府は午前零時より非常戒厳令を全土に拡大、金鍾泌、金大中、李厚洛氏ら有力政治家、知識人を連行
19日 韓国光州市で学生や市民による反政府街頭デモが激化、軍隊と衝突し死者多数
70歳
  昭和55年(1980)   20日 6月22日に衆参同日選挙と決定。桜内幹事長ら党三役、徳永参院議員会長らと総選挙公認問題で協議。途中「栄典に関する有識者会議」で挨拶。春芳会。午後、華国鋒中国首相来日勉強会。物価安定政策会議総会
21日 16時半党五役会議。衆参同日選挙に向けて党職員を激励
22日 日本貿易会の朝食会。9時半東京駅で植樹祭御出席のため三重県に行かれる天皇皇后両陛下のお見送り。10時20分イラン問題閣僚会議で、イラン向け輸出規制による経済制裁措置を決定。インガソル元駐日米大使、牛場日米賢人会議日本側議長らと昼食。ライシャワー元駐日米大使が来訪。22時半鈴木総務会長が総選挙公認問題で党再生協との合意結果を報告に
23日 閣議で対イラン経済制裁措置とそのための輸出貿易管理令改正を決定。党本部で全国幹事長会議。党再生協代表世話人の河本敏夫、安倍晋太郎前代議士と会見。午後、華国鋒首相来日勉強会。経団連定時総会で挨拶。党総裁室で総選挙公認証を立候補予定者に手渡す。報道各社政治論説委員と懇談
24日 8時東京駅発京都経由滋賀へ。記者会見。政経文化パーティ。日本オリンピック委員会のモスクワ・オリンピック不参加の報告を受ける。琵琶湖を湖上から視察。大阪へ。記者会見。関西大平会
25日(日) 和歌山市で記者会見。政経文化パーティ。16時58分羽田着
26日 菊地外務審議官がサミット準備会議の結果を報告。在京報道各社政治部長と昼食懇談。午後、日本山岳会チョモランマ登山隊登頂記念パーティ。党本部で選挙対策委員会。日本建設業団体連合会第14回通常総会パーティ。私邸に家庭基盤充実研究グループの伊藤善市東京女子大教授らが報告書の説明に
27日 閣議で情報提供に関する改善措置について了解。航空機疑惑問題等防止対策協議会メンバーと昼食懇談。15時迎賓館で華国鋒中国首相の歓迎行事。16時すぎ迎賓館で第1回日中首脳会談。故大野伴睦氏17回忌。19時すぎ皇居で華首相歓迎夕食会
28日 9時半官邸で華首相と第2回日中首脳会談、日中閣僚会議の設置などを決定。大来・黄華外相の日中科学技術協力協定の調印式に華首相とともに同席。午後、全国中小企業団体中央総会で挨拶。シュルツ米大統領経済諮問委員長が表敬。永野重雄さんを祝う会。19時半官邸で華首相歓迎夕食会
29日 8時半稲山経団連会長ら経団連新役員と懇談。バーンズ元米連邦準備制度理事会議長、ド・ギランゴー前仏外相らが表敬。ベネチア・サミットの勉強会。13時20分政見放送。党本部で選挙対策委員会。17時すぎ家庭基盤充実研究グループ総会で報告書を受領、懇親パーティ。18時40分中国大使館での華首相主催答礼宴で挨拶
30日 9時迎賓館で華首相歓送行事。9時28分党本部まえで参院選の出陣式。11時新宿で第一声、演説の途中で声の調子に異変。党本部への車中でノドの痛みを訴える。食欲進まず休養。13時すぎ党本部を出て横浜市内4カ所で応援遊説。18時24分私邸着。待ちかまえた主治医の診察。専門医などがこっそりと呼ばれる。伊東官房長官、田中副幹事長、秘書官らが集まる
31日 0時35分港区の虎の門病院に入院。志げ子夫人、二男裕らが付き添う。10時すぎ精密検査始まる。うとうとと眠る
  20日 自民党反主流派の福田派、三木派、中川グループは「党再生協議会」を結成
22日 党再生協は主流派との話し合いで挙党態勢に合意し選挙中の活動停止を決定
24日 日本オリンピック委員会は、モスクワ・オリンピックヘの不参加を賛成29、反対13で決定
27日 浜田幸一元代議士、総選挙に立候補を断念
28日 竹入公明、佐々木民社の両委員長は、衆院選で32選挙区を公式協力区とする合意書に調印
29日 日中共同の「渤海南・西部石油共同開発」の契約調印が東京で行われる。探鉱資金の全額と開発資金の49%を日本側が負担、生産原油の42.5%が15年間日本側に供給される、という内容
30日 第12回参院選挙公示。31日の締切りの結果、競争率2.26倍で史上最低の少数激戦
31日 社会、公明両党は、4選挙区の選挙協力で合意。公明、民社、新自ク、社民連4党は12選挙区での協力に合意
 



21日 光州市の反政府デモは4日目に入り20万人にふくれ学生を中心とした群集は官庁ビルなどを占拠。騒乱は羅州や木浦にも飛び火
24日 国際司法裁判所は、イランに対して米国人人質の解放を命じる最終裁定を全員一致で下す
31日 韓国政府は国家保衛非常対策委員会を設置。全斗煥国軍保安司令官が常任委員長として、実権を握り、光州暴動の死者は170人と発表
70歳


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