昭和44年(1969)   9月
1日 プルティカ・ルーマニア外国貿易大臣が表敬。2日に歓迎晩餐会
8〜9日 衆院商工委で日米繊維問題を中心に質疑
9日 物価対策閣僚会議で公共料金の抑制など5項目の物価対策を決定
16日 日米繊維問題専門家会議(ワシントン)で米側は化合繊輸出の自主規制の二国間協定をほのめかす
19日 残存輸入制限関係閣僚協議会に出席
26日 「英国フェア」名誉総裁に就任(10月5日まで)。第23回全国レクリエーション大会顧問に就任(11月5日から17日まで)
 
1日 OECDは日本を国際収支黒字国とし輸入、資本輸出などの自由化促進を強調
4日 愛知・コスイギン会談でソ連首相は「北方領土問題について現状をそのままにしておくべきだ」と主張
17日 防衛庁作成の初の国防白書の原案がまとまる。間接侵略にも自衛隊出動を明示
 
3日 ホー・チ・ミン・ベトナム民主共和国大統領が心臓発作のため死去。79歳
14日 韓国与党は大統領の三選を認める改憲案を野党議員不在のまま可決
24日 シャープ・カナダ外相は記者会見で、「中国はカナダに対して国連加盟を支持するよう要請してきた」と語る
59歳
  昭和44年(1969)   10月
1日 クロスランド・イギリス商務大臣と大臣室で会談、歓迎午餐会。AIQ品目(約250)のうち半数をAA品目に
6日 国際経済商学学生協会総会後援会顧問に就任(45年3月31日まで)
7日 アチキ・クウェート財政石油大臣が表敬。歓迎晩餐会
14日 自動車の資本自由化を46年10月から実施する方針を閣議決定
17日 ヨーロッパ9カ国へ友好親善のために羽田発。志げ子夫人ら随行。自由化促進閣僚協議会が46年末までに55品目を自由化すると発表
18日 ローマ着、高野大使主催晩餐会に出席
19日 ポンペイ視察。ローマ発、ソフィア着
20日 ブルガリアのマレキシェフ貿易次官、ベンコフ次官ほか貿易省幹部と懇談、ジフコフ首相を表敬、公式昼食会、ブドー酒工場視察、各省および公団高官、経済人と会談
21日 ソフィア発、ブダペスト着。ビロー・ハンガリー外国貿易相と会談、同相主催晩餐会に出席
22日 フォックス首相、ペーター外相と会談、その後工場見学。ブダペスト発、ワルシャワ着
23日 ポーランドのトロンプチンスキー国家計画委員会第一副議長、オルシェフスキー対外経済協力委員会第一副議長を訪問
24日 イエンドリホフスキー外務大臣を訪問、チランケヴィチ首相を訪問。ヴィラノフ宮殿視察。ワルシャワ発、プラハ着。空港特別室で歓迎レセプションを受け、国内記者会見
25日 チェコスロバキアのクレイチー工業大臣、フルシコビッチ副首相、バルチャーク国家書記らと会談。バルチャーク書記主催レセプションに出席。プラハ市内視察。小沢大使夫妻主催レセプションに出席
26日 プラハ発、ウィーン着。ウィーン市内視察。ヨハン・シュトラウスのオペラ「ばらの騎士」観劇
27日 シェーン・ブルン宮殿視察。ウィーン発、ベルリン着
28日 西ベルリンおよびベルリンの壁視察。ベルリン発、ボン着。シュレーダー西独国防相と会見
29日 ボン発、ロンドン着。湯川大使主催レセプションでメイソン英商相ら関係大臣、知日議員、日英経済要人らと交歓
30日 ダグラス・ヒューム氏を訪問。メイソン英商相主催午餐会に出席。ウェジウッド・ベン技術相と会談。邦人記者会見。日本商業会議所主催ディナーに出席
31日 ロンドン発、パリ着。フランスのクーヴ元首相、ジスカールデスタン蔵相を表敬訪問。在仏邦人記者団と会見
この頃「硯滴」IVを刊行
 
2日 アメリカが駐米日本公使に対し繊維輸入規制を正式に申し入れ
3日 陸上自衛隊が東富士演習場で大規模な治安訓練を実施
9日 6日からの日米自由化交渉が妥結し、日米側はグレープフルーツ、ヘリコプターなど6品目の自由化を約束
14日 政府は閣議で、自動車資本の自由化を46年10月1日から実施するこ止を決定
21日 第4回国際反戦デーで反日共系学生は都内各所でゲリラ活動を行ったが、市民にそっぽを向かれ、機動隊にきびしく規制される
29日 厚生省は人工甘味料チクロの使用を即時禁止
30日 公正取引委員会は、条件付きで八幡、富士両製鉄の合併を認めるという同意審決書を、両社代表に手渡す(45年3月31日、合併)
 
2日 米下院本会議は弾道弾迎撃ミサイル(ABM)網配置計画を可決
7日 北京放送は中ソ国境問題で両国が交渉を進めることに合意したと発表
12日 ソ連は2人乗り有人宇宙船ソユーズ7号を打ち上げる。6、7、8号の三宇宙船が同時に地球を周回
15日 全米で最大のベトナム反戦デモが平静に行われる
18日 米政府はチクロ(砂糖に代わる人工甘味料)の使用禁止を命令
21日 ブラント社会民主党首が西ドイツ首相に就任
24日 ブラント新内閣はマルクの9.29%切上げを決定
27日 スウーデン科学アカデミーは新設のノーベル経済学賞をテンベルヘン、フリッジシュ両教授に与えると発表
29日 シェール西独外相は東ドイツに対する従来の外交方針を放棄すると言明
59歳
  昭和44年(1969)   11月
1日 パリ近郊視察。欧州経済問題に関する在パリ大使館幹部の懇談会。在欧通産出身者夕食会に出席。ヨーロッパの秋の旅が終わる
2日 パリ、オルリー空港発
3日 羽田着、空港で記者会見
5日 ガットのロング事務局長と会談
7日 日タイ貿易合同委員会に出席(白金公邸)
8日 日タイ貿易合同委員会歓迎レセプション晩餐会
10日 スミトロ・インドネシアの貿易大臣が表敬
17日 愛知外相の出張中臨時代理(26日まで)
25日 ファウラー・アメリカ前財務長官が表敬
 
17日〜22日 日米繊維予備交渉がジュネーブで開催されアメリカがトリガー方式を提案
22日 佐藤首相とニクソン大統領が沖縄の施政権返還を決める日米共同声明を発表
26日 政府自民党は緊急措置として150万トン以上の米の生産調整を柱とする45年度総合農政の基本方針を決定
 
16日 米軍犯罪調査部隊が、南ベトナム・ソンミ村での米軍による村民大量虐殺事件究明に現地で調査を開始
19日 アポロ12号が人類二度目の月着陸に成功
24日 米ソ両国が核拡散防止条約を批准
59歳
  昭和44年(1969)   12月
5日 日本アメリカンフットボール協会会長に就任
12日 WTCA日本総会組織委員会名誉会長に就任
15日 中小企業政策審議会が「今後の中小企業政策のあり方」「下請企業振興について」意見具申
27日 衆議院議員に当選8回、得票数7万2343票で第1位
 
1日 佐藤首相は衆参両院で沖縄返還をめぐる日米首脳会談の成功を強調
2日 衆議院解散
19日 アメリカ、繊維交渉で対日提案
 
3日 ガット年次報告で貿易自由化促進を強調
18日 英上院は死刑廃止時限法の無期限延長案を可決。英国の死刑廃止は最終的に確定
59歳
  昭和45年(1970)   1月
10日 ワシントンで日米繊維交渉を開始
11日 宮沢氏とゴルフに行き、佐藤首相の暗示を受ける
12日 カナダのオンタリオ州のロバーツ首相が表敬
14日 佐藤内閣の改造で通商産業大臣を辞任

無役時代(宏池会会長)
3月12日 還暦を迎える。「還暦と自誨」(『旦暮芥考』に所収)を執筆
5月15日 党政務調査会情報産業調査会長に就任
8月15日 『旦暮芥考』(四六判・378頁・非売品)を鹿島研究所出版会から刊行
11月18日 宏池会に五人委員会(大平正芳、鈴木善幸、小平久雄、小川平二、塩見俊二)がつくられる
 
14日 第三次佐藤内閣成立
3月14日 日本万国博覧会
3月31日 日本赤軍「よど」号をハイジャック6月22日 安保条約自動延長
10月29日 佐藤総裁四選
12月9日 日中国交回復促進議員連盟発足
 
23日 OECD調査団は日本の教育について検討
2月19日 日米繊維交渉で米側は日本政府の要望を拒否
3月18日 カンボジアのシアヌーク国家元首がクーデタで失脚
9月28日 ナセル・アラブ連合大統領が心臓発作で急死
12月14日 ポーランドで暴動
60歳
  昭和46年(1971)   4月17日 前尾繁三郎会長の後をついで宏池会の第三代会長に就任
5月 「硯滴」Vを刊行
9月1日 宏池会国会議員研修会で提言「日本の新世紀の開幕─潮の流れを変えよう」を発表
9月28日 宏池会青年研修会で提言「経済の軌道修正と財政の役割─通念からの脱却」を発表
11月17日 提言「経済の非常事態を乗り切るために─緊急財政対策臨時措置法」を発刊
12月16日 提言「新世紀の幕を開くために─公債政策について重ねて提言す」を発刊
  6月17日 沖縄返還協定調印
7月1日 環境庁発足
7月17日 “参院改革”の河野謙三が参院議長に選出
8月27日 円の変動相場制移行を決定
12月10日 政府は四次防の47年スタートを決定
12月19日 円切り上げ決定、基準レート・1ドル=308円
  7月15日 ニクソン訪中表明
8月9日 ソ印平和友好協力条約に調印
8月15日 ニクソン、ドル防衛措置を発表
8月16日 欧州為替市場閉鎖
10月25日 中華人民共和国が国連復帰、国府は脱退を表明
10月28日 英議会はEC加盟動議を可決
11月23日 印パ戦争
61歳
  昭和47年(1972)   4月 「硯滴」VI(47年・国政参加20年記念号)を刊行
4月5日 日本塩業組合を改組した日本塩工業会会長に就任
5月8日 提言「平和国家の行動原則─量から質へ、ハードからソフト、そしてナショナルからグローバルヘ」を発刊
6月14日 提言「人間的連帯を阻む壁を破ろう─教育と社会保障の新しい方向」を発刊
6月17日 自民党総裁選に出馬を声明
7月2日 大平・田中・三木の政策協定(三派協定)が成立
7月5日 党総裁選に出馬。101票第三位で善戦する(田中角栄156票、福田赴夫150票、三木武夫69票)
  1月24日 グアム島で横井庄一元陸軍軍曹を保護
2月19日 連合赤軍の浅間山荘事件おこる
5月15日 沖縄復帰、沖縄県発足
5月24日 国語審議会総会で「改定送りがなのつけ方」が正式に報告、公表
6月11日 田中角栄、日本列島改造論発表
7月5日 田中総裁誕生
7月6日 佐藤内閣総辞職
  2月21日 ニクソン訪中。毛主席、周首相らと会談
4月24日 北ベトナム軍、解放戦線側が南ベトナムを攻撃
5月9日 米軍機が北ベトナムの全土を猛爆
5月22日 ニクソン訪ソの旅
5月26日 ブレジネフ・ニクソン会談でSALTが再開
6月9日 国連人間環境会議は「商業捕鯨の10年間禁止」勧告案を採択
7月4日 韓国、北朝鮮両政府は南北平和統一の共同声明
62歳


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