明治43年(1910) | 3月12日 香川県三豊郡和田村大字和田甲1082番地(現豊浜町和田甲1082番地)に父利吉(明治3年10月3日生)母サク(同6年5月5日生)の四男四女の三男として生まれる | 43年8月22日 韓国併合 45年7月30日 明治天皇崩御、大正と改元 | 44年10月10日 辛亥革命 | ||||
大正4年(1915) | この頃大野原と観音寺に通じる別れ道の五軒屋の辺の家に“養子”に出されたが、「あんまり悪さをするので帰された」という | 3年1月23日 シーメンス事件 4年1月18日 対支21カ条要求 5年9月1日 工場法施行 6年9月12日 金本位制停止 7年8月2日 シベリア出兵を宣言 7年8月3日 米騒動 | 1年2月12日 清朝滅亡 3年7月28日 第一次世界大戦勃発 6年11月7日 ロシヤ革命 7年11月11日 第一次世界大戦終結 8年6月28日 ベルサイユ講和条約調印 9年1月10日 国際連盟発足 | ||||
5歳 | |||||||
大正5年(1916) | 4月 和田村立大正尋常高等小学校(現豊浜町立豊浜小学校)に入学 11月20日 鈴木志げ子、三樹之助、あいの二女として東京市本郷区田町五番地に生まれる | ||||||
6歳 |
大正11年(1922) | 3月 和田村立大正尋常高等小学校尋常科を卒業 4月 同校高等科に入学 | 12年9月1日 関東大震災発生 14年4月22日 治安維持法公布 14年5月5日 普通選挙法公布 15年12月25日 大正天皇崩御 | 11年12月30 ソ連邦成立 13年1月20日 第一次国共合作 14年10月5日 ロカルノ条約 15年7月9日 蒋介石北伐開始 | ||||
12歳 | |||||||
大正12年(1923) | 3月 同校高等科1年を終了。小学校時代の最終成績は48人中2番であり、本人の将来の志望は学籍簿に「官吏」と記入されている 4月 香川県立三豊中学校(現観音寺第一高等学校)に入学。席次は100人中41番だった。数学の中井虎男先生、漢文の細川敏太郎先生の講義には特に魅了される | ||||||
13歳 |
昭和2年(1927) | 3月 海軍兵学校受験するも急性中耳炎のため身体検査で不合格 夏 腸チブスにかかり、4カ月病床に臥す 8月29日 父利吉、胃潰瘍で死去。56歳 | 3月5日 金融恐慌はじまる 4月17日 若槻内閣総辞職 | 4月12日 蒋介石4・12クーデタ | ||||
17歳 | |||||||
昭和3年(1928) | 3月 香川県立三豊中学校を卒業。卒業の際の席次は73人中19番目だった。卒業時の成績は英語90点、漢文88点、英作文87点がよかった 4月 高松高等商業学校(現香川大学経済学部)に入学。大川郡津田町の叔母(ヨシ)の家に下宿 4月頃 佐藤定吉工学博士のキリスト教の講演を聞く。佐藤博士主宰の「イエスの僕会」に入る 12月2日 東京の青山での「イエスの僕会」大伝道講演会参加のために上京 | 2月20日 第1回普通選挙 6月4日 張作霖爆死事件 6月29日 治安維持法改正 | 8月27日 パリ不戦条約 10月1日 ソ連第一次5カ年計画 | ||||
18歳 | |||||||
昭和4年(1929) | 夏 湿性肋膜炎を病んで休学す 12月27日 観音寺教会にてブカナン牧師より受洗 | 7月2日 浜口雄幸内閣成立、井上財政、幣原外交 11月21日 金解禁 | 10月24日 世界恐慌はじまる(ニューヨーク株式市場大暴落) | ||||
19歳 | |||||||
昭和5年(1930) | 4月頃 高松高商2年に復学 | この年 昭和恐慌 | 1月21日 ロンドン海軍軍縮会議 | ||||
20歳 | |||||||
昭和6年(1931) | 3月 南四国への無銭旅行を試みる 4月頃 高松市内七番町の筒井方に下宿を移す 夏頃 イエスの僕会の第5回浅間山麓修養会に参加し、桃谷勘三郎氏と初めて会う | 9月18日 満州事変はじまる 12月13日 高橋財政金輸出再禁止 | 4月14日 スペイン第2共和国成立 8月24日 英挙国一致内閣 | ||||
21歳 | |||||||
昭和7年(1932) | 3月 高松高等商業学校を卒業 4月以降 桃谷勘三郎氏の家に食客となり桃谷順天館で新化粧品の企業化を手伝うが、成功しないで悩む | 3月1日 満州国建国宣言 5月15日 五・一五事件発生 | |||||
22歳 | |||||||
昭和8年(1933) | 4月 東京商科大学(現一橋大学経済学部)に入学。二つの奨学金(香川県育英会、鎌田共済会)をうける。東京市杉並区阿佐ケ谷2の562、立島方に寄寓。のちに府下国分寺324、岡村熊太郎方に下宿 | 3月27日 国際連盟を脱退 5月31日 塘沽停戦協定 | 1月30日 ヒトラー独首相に就任 3月4日 ルーズベルト、米大統領に就任 | ||||
23歳 | |||||||
昭和9年(1934) | 4月以降 上田辰之助教授のゼミナールに出席。一橋YMCA寮建設のための募金活動で関西、関東の先輩を歴訪行脚 | 4月18日 帝人事件 9月12日 在満機構改革問題 | 10月15日 毛沢東ら長征開始 | ||||
24歳 | |||||||
昭和10年(1935) | 春頃 従兄大平秀雄の中華民国赴任により、東京市中野区の大平家に移り住む 10月 高等文官試験行政科に合格。合格後、郷里の先輩・津島寿一大蔵次官を訪ね、大蔵省入省が内定 | 2月18日 美濃部達吉帝大教授の天皇機関説問題化 6月10日 梅津・何応欽協定 | 7月25日 第七回コミンテルン大会 8月1日 中共八・一宣言 10月3日 エチオピア戦争 | ||||
25歳 | |||||||
昭和11年(1936) | 1月21日 卒業論文「職分社会と同業組合」を脱稿 3月 東京商科大学を卒業 4月10日 大蔵省に入省、六級俸、預金部勤務 | 2月26日 二・二六事件 8月7日 国策の基準を決定 11月25日 日独防共協定 | 7月17日 スペイン内乱はじまる 12月4日 西安事件 | ||||
26歳 | |||||||
昭和12年(1937) | 3月23日 大蔵属兼任、大臣官房財政経済調査課勤務 4月15日 鈴木志げ子と上田教授夫妻の媒酌で結婚。東京市杉並区和田本町852に新居をかまえる 5月4日 官制改正で預金部資金局に属する 7月1日 司税官となり高等官七等に叙せられ、七級俸を受ける。横浜税務署長となり、税務署所轄内相続税審査委員となる 7月7日 横浜市に赴任し、紅葉山の官舎に入る。のちに磯子区字浜1666に転居 7月15日 従七位に叙せられる 8月30日 土地収用法第38条第2項により神奈川県収用審査会委員となる 10月25日 池田勇人が、東京税務監督局直税部長に就任、以後しばしば部下として仕事上会う | 6月4日 第一次近衛文麿内閣成立 7月7日 蘆溝橋事件 11月6日 日独伊防共協定調印 12月13日 南京占領 | |||||
27歳 | |||||||
昭和13年(1938) | 2月6日 長男・正樹生まれる 6月25日 税務監督局事務官に任ぜられ、高等官七等、七級俸を受ける。仙台税務監督局間税部長を命ぜられドブロク退治につとめる 12月20日 高等官六等に陞叙され、六級俸を受ける | 4月1日 国家総動員法公布 4月6日 電力国家管理 10月27日 武漢3鎮を占領 12月16日 興亜院官制公布 | 3月13日 ドイツ、オーストリアを併合 9月29日 ミュンヘン協定 | ||||
28歳 | |||||||
昭和14年(1939) | 1月16日 正七位に叙せられる 5月31日 興亜院事務官となり、高等官六等を叙され八級俸を受ける。興亜院蒙疆連絡部経済課主任となる 6月15日 東京を発って張家口へ向う 6月20日 蒙疆連絡部の所在地・張家口に着任 10月17日 二男・裕生まれる この頃 興亜院蒙疆連絡部経済課長となる 11月 内蒙古(張北)の蒙古人地帯へ戸口調査に向う | 5月12日 ノモンハン事件 | 9月1日 英仏、対独宣戦布告。第二次世界大戦はじまる | ||||
29歳 | |||||||
昭和15年(1940) | 6月29日 七級俸を受ける 10月15日 興亜院経済部第二課勤務を命ぜられる 10月下旬 帰国前、蒙古、満州の各地を旅行 11月2日 企画院から物資動員委員会委員を嘱託される 12月20日 高等官五等に陞叙される この年 横浜市中区本牧3ノ谷268に二階建の自宅を構える | 7月22日 第二次近衛内閣 7月27日 南進政策を決定 9月22日 北部仏印に進駐 9月27日 日独伊三国同盟 10月12日 大政翼賛会発足 | |||||
30歳 |
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