昭和48年(1973) | 外務大臣時代 7月 4日 フルツェヴァ・ソ連文化大臣が表敬。ラチラカ・マダガスカル外相と会談 6日 大臣主催ライシャワー・ハーバード大学教授招待午餐会 16日 第9回日米貿易経済合同委員会を東京で開催。大臣主催日米合同委員会ビュフェ 17日 ロジャーズ米国務長官歓迎午餐会に出席したあと同長官と会談。コミュニケを採択し閉会 23日 ヴァン・レネップOECD事務総長と会談。大臣主催の歓迎晩餐会 25日 政府、北ベトナムとパリで第1回正式国交を交渉 29日 田中首相に随行し日米首脳会談のために訪米 | 15日 ロジャーズ米国務長官が来日 20日 アラブゲリラ、オランダ上空で日航機をハイジャック 25日 資源問題を一元的に取扱う資源エネルギー庁が発足 31日 田中・ニクソン首脳会談がホワイトハウスで開催 | 17日 アフガニスタンでクーデタが発生、軍政を布く 22日 フランスは南太平洋のムルロア環礁で30回目の核実験を強行 31日 20カ国蔵相会議は9月のIMFナイロビ総会に通貨改革案を提出することで合意 | ||||
63歳 | |||||||
昭和48年(1973) | 8月 6日 田中首相とともに帰国。羽田で記者会見。故正樹の10年法要 14日 ニコルUNITAR事務局長が表敬。各社政治部長との懇談会 16日 サマト・バングラデシュ農相が表敬 23日 ランゴーラム・モーリシャス首相と会談 24日 政府、金大中事件を遺憾として第7回日韓定期閣僚会議の延期を決定 29〜31日 日ソ経済合同委幹部会議東京で開催 31日 関税及び貿易に関する一般協定閣僚会議の日本政府代表を命ぜられる(9月25日まで) | 1日 日米共同声明発表。天皇訪米とニクソン大統領の訪日も合意 8日 金大中韓国元大統領候補が東京のホテルから白昼誘拐される事件が発生 14日 法眼外務次官は金大中氏の再来日を正式に申入れる 28日 後宮駐韓大使が金大中氏と会見 | 15日 米軍のカンボジア爆撃停止。10年にわたった米軍のインドシナ軍事介入に終止符 24日 中国共産党第10回全国代表大会が北京で開かれ林彪副主席らの党籍を永久剥奪 | ||||
63歳 | |||||||
昭和48年(1973) | 9月 6日 1973年国際航空宇宙ショー実行委員会顧問に就任(10月11日まで) 10日 シャープ・カナダ外相招待午餐会、その後会談 11日 ジスカールデスタン仏蔵相招待午餐会、その後会談。ロングGATT事務局長と会談 12〜14日 東京でのGATT閣僚会議に出席。大臣夫妻主催歓迎レセプション 13日 シュルツ米財務長官と会談。GATT閣僚会議に出席 14日 GATT閣僚会議終了。その後、共同記者会見 17日 ビロー・ハンガリー貿易相、ソームズEC副委員長、ヴラテュシア・ユーゴ副首相とそれぞれ会談 23〜26日 国連第28回総会(ニューヨーク)に政府代表として出席のため訪米 25日 国連総会本会議で演説し、南北朝鮮の国連同時加盟支持や国連財政立直しのために1000万ドルを臨時支出すると表明 27日 ローマ着 28日 第3回日伊外相定期協議(ローマ)を行う 29日 田中首相に随行して第10回日英定期協議に出席(10月3日まで) | 14日 GATT東京宣言の内容(1)新国際ラウンドの開始、通貨改革通商拡大の交渉の進行、後発国に特別待遇をなど 17日 国鉄、健保、年金の三法案が参院本会議で可決 21日 日本とベトナム民主共和国の国交樹立 23日 「防衛二法」が参院本会議で可決、成立 25日 通産省は「わが国のエネルギー問題」と題する初の白書を発表。エネルギー不足時代の総合的政策を強調 26日 田中首相、訪欧、訪ソに出発 29日 日仏両政府が共同声明を発表(1)ポンピドー大統領の訪日(2)モナリザの貸出しは74年春(3)日本は日本研究基金3億円相当を提供するなど | 9日 第4回非同盟諸国首脳会議は(1)大国のエゴイズム批判(2)資源国有化の権利の強調(3)朝鮮の国連加盟では北の立場支持の宣言、決議を採択 11日 チリでクーデタが発生し、ラテン・アメリカ最初の社会主義政権が倒れ、アジェンデ大統領は自殺 12日 ラオス政府とパテト・ラオ(同愛国戦線)は、臨時民族連合政府樹立で合意 18日 国連総会で東西ドイツとバハマの国連加盟が可決 23日 アルゼンチンの大統領にペロン元大統領が当選 | ||||
63歳 | |||||||
昭和48年(1973) | 10月 1日 第10回日英外相定期協議(ロンドン)を行う 3日 田中首相に随行して第6回日独定期協議に出席(7日まで) 5日 第6回日独外相定期協議(ボン)を行う 7日 田中首相とともに訪ソ、日ソ首脳会談(10日まで4回)北方領土問題を強調する 10日 日ソ共同声明発表。北方領土問題は「74年の適当な時期に両国間で平和条約の締結交渉を継続する」とする。科学技術協力協定、渡り島条約、文化交流実施取決めに調印 11日 田中首相とともに帰国、記者会見、大臣主催東南アジア開発閣僚会議レセプション 12〜13日 第8回東南アジア開発閣僚会議に出席 17日 イタリア・ルネサンス・ヴェネツィア派名作展名誉顧問に就任(1974年3月5日まで) 19日 ラーマン・バングラデシュ首相歓迎宮中午餐会 22日 ピーターソンUNDD事務局長が表敬 23日 ラーマン・バングラデシュ首相と会談。そのあと歓迎晩餐会 26日 ウィットラム・オーストラリア首相夫妻歓迎宮中午餐会 29日 第2回日豪閣僚会議。歓迎晩餐会 30日 日豪閣僚会議は(1)日豪友好条約締結交渉の開始(2)資源の安定供給のための常時協議などの共同コミュニケを採択して閉会。共同記者会見 | 1日 経済企画庁は「土地問題とその対策」と題する初の土地白書を発表し、大都市での持家主義を改め、公的介入の必要を強調 3日 日英両政府が共同声明を発表(1)エリザベス女王夫妻の75年春の来日(2)北海油田開発への日本の参加など 4日 田中首相はブラント西独首相と会談し「資源問題合同委員会」の設置で合意 9日 外務省アメリカ局長は衆院内閣委で事前協議について「平時、平常の時には事実上発動しない」と答弁 23日 エサキダイオードを発明の江崎玲於奈博士が1973年度のノーベル物理学賞受賞 | 7日 イラク政府は米国系スタンダード石油、モービル石油の国有化を発表 17日 アラブ石油輸出国機構(OAPEC)加盟のペルシヤ湾岸6カ国は原油価格を21%引上げると決定。OAPEC閣僚級会議はイスラエル支持国への抗議として石油生産を毎月5%ずつ削減と決定 19日 リチャードソン司法長官らが、ウォーターゲート事件でニクソン大統領の措置に抗議して辞任 22日 国連安保理は米ソ共同提出の「12時間以内現状停戦」を採択 | ||||
63歳 | |||||||
昭和48年(1973) | 11月 2日 カリド・スーダン外相と会談、大臣主催歓迎午餐会。田中首相・金韓国首相会談に同席。延期されていた第7同日韓定期閣僚会議の年内東京開催が合意。金大中事件に政治結着 5日 メルチョール・フィリピン官房長官と会談 9日 ヌグザ・ザイール外相と会談、歓迎晩餐会。ホワン・コク・ベト北ベトナム祖国戦線代表団長と会談 14日 キッシンジャー米国務長官と会談、中東情勢やアラブ諸国の石油供給削減問題で意見交換、歓迎晩餐会 16日 フニョウベク・チェコ外相と会談、歓迎晩餐会 25日 第二次田中改造内閣発足するも外相に留任。各社インタビュー。認証式 27日 マリク・インドネシア外相と会談、歓迎晩餐会 | 16日 政府は石油危機を切り抜けるために(1)大口需要産業への供給削減(2)マイカー自粛(3)不当利益の防止など6項目の石油緊急対策要綱を決定 22日 政府は中東政策を転換するアラブ寄りの新見解を二階堂官房長官談話の形で発表 25日 経済危機の打開をめざし第二次田中改造内閣が発足 30日 経企庁は48年度下期の実質成長率は6%と発表 | 5日 OAPEC加盟の10カ国は対イスラエル戦略のため11月の原油生産を9月比25%減、12月からはさらに5%減産強化すると発表 18日 OAPEC10カ国の石油相会議でEC諸国の政治的姿勢を考慮して、12月の5%削減措置を適用しないと発表 27日 アラブ首脳会談は、対日石油輸出の12月5%削減免除を決定 | ||||
63歳 | |||||||
昭和48年(1973) | 12月 9日 ハツダーム・シリア外相およびアル・パチャチ・アブダビ国務相と会談、歓迎晩餐会 24日 ソロメンツェフ・ロシア共和国首相と会談 26日 第7回日韓定期閣僚会議(東京)開会式。会議、共同声明採択、閉会式 27日 金韓国外務部長官と会談 年末 腎臓結石と悪性のカゼのため静養を要すると診断される | 10日 三木環境庁長官、政府特使として中東8カ国歴訪へ 22日 国民生活安定緊急対策本部が発足し石油危機に対処 28日 海外経済協力促進のため経済協力担当大臣を新設。初代は牛場信彦氏 | 1日 パプア・ニューギニアに自治政府が成立 21日 中東和平国際会議が国連主宰でジュネーブで開催 25日 アラブ産油諸国は日本を友好国と認めて石油供給へ | ||||
63歳 | |||||||
昭和49年(1974) | 1月 2〜6日 日中航空協定の締結について中国政府首脳と交渉のため中華人民共和国を訪問 4〜5日 周恩来首相、毛沢東主席と会談、日中貿易協定、日中記者交換覚書に調印 12日 香川県参議院補欠選挙に応援中に瀬田の自宅焼失。森村邸(瀬田1ノ29ノ8)に仮寓 14日 福田蔵相出張中臨時代理(19日まで) 16日 チャタウェイ英産業開発相と会談。青藍会 18日 ブルースター米エ一ル大学総長が表敬 21日 第72通常国会開会。衆参本会議で外交演説 24日 アブデスサラム・アルジェリア工業エネルギー相と会談。歓迎レセプション 26日 天皇・皇后両陛下御結婚満50年祝賀式(皇居) 27日 ヤマニ・サウジアラビア石油相およびアブデスサラム工業エネルギー相と会談。記者会見 30日 ヤマニ石油相と会談 | 7日 田中首相、東南アジア5カ国歴訪に出発 12日 政府は広告灯の点灯禁止など第二次石油消費規制 15日 インドネシアに反日暴動がおこり、田中首相と学生代表の会見が中止 17日 政府は日台路線は民間取決めで維持、日航は日台路線に就航しない、中華航空の社名と青天白日旗の変更を求めないなど基本方針を決定 30日 日韓両国で大陸棚協定に調印 | 8日 朴韓国大統領は大統領緊急措置(非常大権)を施行 18日 エジプトとイスラエルはスエズ戦線の兵力引離し協定に調印 19日 仏政府はEC共同変動相場制からの離脱を決定 28日 ブレジネフ書記長がキューバを訪問 | ||||
64歳 | |||||||
昭和49年(1974) | 2月 8日 ワシントンの石油消費国会議出席のため訪米 11〜13日 石油消費国会議に出席。キッシンジャー米国務長官と会談し、48年8月の日米共同声明の方針に従って、天皇の早期訪米とニクソン大統領の年内訪日を実現することを再確認する 15日 帰国後の記者会見で安川駐米大使の年内の天皇訪米発表を否定する 19日 オルトリEC委員長と会談、歓迎晩餐会 20日 ハテム・エジプト副首相と会談、午餐会 | 6日 クウェートの日本大使館がパレスチナゲリラに占拠され大使ら16人が人質となる 19日 公取委は石油元売り12社と石油連盟を最高検に告発 22日 衆院本会議で「教員人材確保法」が参院の修正案どおり可決、成立 | 4日 中国外務省は日韓大陸棚協定を容認できぬと声明 | ||||
64歳 | |||||||
昭和49年(1974) | 3月 2日 「セザンヌ展」名誉顧問に就任(8月18日まで) 4日 ジミキーニン・ソ連最高会議代表団と会談 13日 64歳の誕生祝賀会(国会の都合で一日遅れ) | 10日 小野田元少尉、ルバング島で保護、下山 30日 会社の儲け過ぎ吸収の会社臨時特別税法が成立 | 5日 ウイルソン英労働党内閣成立。強力な物価抑制策 | ||||
64歳 | |||||||
昭和49年(1974) | 4月 8日 アンデルセン・スウェーデン外相と会談、歓迎晩餐会 18日 外務、文部両大臣共催の「モナリザ展」開催レセプション 20日 「ヘンリ・ムア展」委員会顧問に就任(6月16日まで) 22日 ローリング・ニュージーランド蔵相が表敬 30日 スルデイ・ハンガリー国内商業相が表敬。ゴバシュ・アブダビ外務大臣が表敬 | 5日 モスクワ空港で一時間の田中・コスイギン会談 11日 外務省は藤尾代議士が暴露した日中航空協定交渉の機密を本物と認定 20日 日中航空協定が北京で調印される。台湾政府は日台空路の停止を声明 | 2日 ラオス首相とラオス愛国戦線代表の間でラオス民族連合政府の樹立で合意成立 25日 ポルトガルの首都で若手軍人の無血クーデタが成功 | ||||
64歳 | |||||||
昭和49年(1974) | 5月 18日 キッシンジャー米国務長官との会談。ジャパン・ソサエティの講演のために訪米(23日帰国) 20日 米エール大学から名誉法学博士号を受ける 21日 ニクソン米大統領と会談 30日 香川用水・通水記念式典(高松市)に出席 | 15日 日中航空協定承認 25日 靖国神社法案が衆院本会議で可決 27日 地価凍結を狙いとした国土利用計画法案が成立 | 1日 国連資源総会は開発途上国の天然資源国有化権を明記した宣言を採択 19日 ジスカールデスタン蔵相がフランス大統領に就任 | ||||
64歳 | |||||||
昭和49年(1974) | 6月 11日 スウェーデンから北極星勲章一等を贈られる 25日 北方圏生活環境展実行委員会顧問に就任する | 26日 国土庁が発足 | 10日 ニクソン大統領は中東5カ国歴訪の旅に出発 | ||||
64歳 | |||||||
昭和49年(1974) | 7月 2日 「印象派百年展」名誉顧問に就任(11月3日まで) | 12日 三木環境庁長官辞任 | 1日 ペロン大統領死去78歳 | ||||
64歳 |
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