昭和49年(1974) | 大蔵大臣時代 7月 16日 福田蔵相の辞任で横滑りして大蔵大臣に就任 23日 中央交通安全対策会議委員、国際通貨基金、国際通貨基金の国際通貨制度改革等委員、国際復興開発銀行、投資紛争解決国際センター、アジア開発銀行、アフリカ開発基金の各政府代表になる | 16日 福田蔵相、保利行政管理庁長官が辞任 20日 自治省は全国人口・世帯数の集計結果を発表 24日 第73臨時国会召集 | 20日 トルコ軍がキプロス島に上陸を開始 30日 キプロス和平会談で英、ギリシア、トルコ三国外相は即時停戦共同宣言に調印 | ||||
64歳 | |||||||
昭和49年(1974) | 8月 2日 参議院大蔵委員会で所信表明。沖縄国際海洋博関係閣僚協議会に出席 7日 公害対策会議委員に就任 14〜15日 香川県知事選のために高松市などを遊説 22日 香川県知事選のために高松市へ遊説(日帰り) 26日 新聞各社論説委員と懇談 28日 宏池会研修会(箱根)で講演。中央防災会議委員に就任 | 13日 航空審議会が関西国際空港は泉州沖海上をと答申 25日 香川県知事選で革新系の前川忠夫前香大学長が当選 27日 日中航空技術協定調印 30日 東京・丸の内の三菱重工ビル前で時限爆弾が爆発 | 8日 ニクソン大統領辞任 9日 フォード副大統領が大統領に就任 15日 朴正煕韓国大統領が狙撃され、大統領夫人が死亡 | ||||
64歳 | |||||||
昭和49年(1974) | 9月 2日 税関長会議で挨拶。高橋亀吉氏と対談。日本テレビ「おはよう対談」の録画撮り 21日 月刊「現代」で城山三郎氏と対談25日 IMF・世銀総会等に出席のため羽田発、バンクーバー着。カナダ政府主催晩餐会に出席 26日 バンクーバー発、サンフランシスコ着 27日 サンフランシスコ発、ワシントン着 28日 マクナマラ世銀総裁と会談 30日 IMF年次総会で演説 | 11日 政府は日韓関係打開のため椎名副総裁を特使に派遣 12日 田中首相はメキシコ、ブラジル、米国、カナダの4カ国の公式訪問に出発 29日 日中定期航空路が正式にスタート | 12日 エチオピアの国軍調整委員会は、ハイレ・セラシエ皇帝を強制的に退位させる。3000年続いた同国の専制君主制は終わりを告げる | ||||
64歳 | |||||||
昭和49年(1974) | 10月 1日 IMF総合討議。ロックフェラー三世と会談 2日 IMF合同委員会に出席 3日 IMF暫定委員会に出席。消費者保護会議委員に任命される 4日 キッシンジャー米国務長官と昼食。ワシントン発、ニューヨーク着 8日 ホノルル経由で午後7時25分羽田着 11日 タット・ネパール蔵相、ソンマイ・タイ蔵相と会談。生命保険大会で挨拶 14日 ウィッテベーンIMF専務理事と会談。税制調査会総会で挨拶 15日 ウィッテベーンIMF専務理事と2回目の会談 17日 東京12チャンネル「スタジオ9」に出演。格物会で講演。全国地方銀行大会で挨拶。オーストラリア、ニュージーランド記者団が表敬 21日 日本記者クラブ(帝国ホテル)で講演 24日 “田中金権政治”に関して田中、保利、大平会談 26日 木村俊夫外相出張中臨時代理(11月11日まで) 28日 城山三郎氏と対談(「如水会報」) 30日 赤坂御苑の園遊会に出席 31日 高橋公取委員長と会談。新聞各社論説委員と懇談。NHK政治座談会録画撮り(真藤石播社長、大木総評事務局長、内田東大教授と) | 8日 1974年度ノーベル平和賞に佐藤栄作前首相が選ばれる 14日 東京・西新橋の三井物産本社で時限爆弾が爆発 22日 田中首相の金権政治に対する公然たる批判が一斉に始まる。外国特派員協会(外人記者クラブ)では田中首相の出席を得たうえ「文芸春秋」11月号の特集記事を素材にきびしく追及 28日 田中首相は、ニュージーランド、オーストラリア、ビルマ3国訪問に出発 29日 大蔵省はオイルマネー流入で国際収支が総合で1億2800万ドルと、1年7カ月ぶりの黒字になったと発表 | 11日 総選挙で英労働党が過半数を1議席超え319議席を獲得し引続き政権を担当 14日 国連総会はパレスチナ解放機関(PLO)をパレスチナ人民の代表として出席させる、との決議案を採択 26日 訪ソ中のキッシンジャー国務長官はブレジネフ書記長との会談で、11月23、24日にブレジネフ・フォード会談をソ連で開催と決定 28日 シュミット西独首相がモスクワ入りして、ソ連・西独首脳会談始まる | ||||
64歳 | |||||||
昭和49年(1974) | 11月 1日 証券懇談会で挨拶。毎日新聞政治部長と対談 5日 貨幣大試験のため大阪へ出張。関西経済三団体、財界有志、在阪神大蔵官衙長と懇談 6日 貨幣大試験(造幣局)。金融懇談会 9日 橋本登美三郎幹事長の要請で水戸で講演の後、田中首相と会談 11日 大蔵大臣に留任。合同記者会見。初閣議 12日 NHK「有力閣僚座談会」録画撮り(中曾根通産相、木村外相、福田一自治相、竹下官房長官と) 13日 木村外相海外出張中臨時代理(15日まで) 14日 相互銀行大会で挨拶。ウィリアム・トリニダード・トバゴ首相表敬。金融制度調査会総会で挨拶。如水会創立60周年祝賀パーティ(如水会館)で挨拶 19日 フォード米大統領の歓迎式、午餐会、宮中晩餐会に出席。キッシンジャー米国務長官と会談 20日 「税のしるべ」誌で宮城まり子氏と対談 21日 フォード米大統領歓送式(迎賓館) 26日 米価、給与の追加財政需要として2兆2600億円の補正予算案を閣議で報告 27日 後継総裁問題で永野重雄日商会頭邸で大福会談 28日 早朝、後継総裁問題で三木邸で大平・三木会談。新聞各紙論説委員と懇談(記者会館) 29日 椎名副総裁が党本部で四実力者(大平、三木、福田、中曾根)と個別会談 30日 午前10時から党内実力者(椎名、福田、三木、中曾根の四氏と)会談 | 3日 自治省は本年9月10日現在の全国有権者は7605万人で、昨年同期より106万人増えたと発表 11日 田中首相は党役員の入替えと内閣改造を行う 13日 日中海運協定が正式調印 18日 フォード大統領は、大統領専用機で現職米大統領としては初めて来日 19日 フォード・田中会談で天皇の訪米と日米関係の強化について合意が成立し、20日に共同声明を発表 26日 田中首相、退陣を表明 | 5日 初の閣僚代表による世界食糧会議(WFC)がローマで開催 12日 国連総会は、南アフリカ共和国の総会参加権を今総会中停止と決定 16日 世界食糧会議は、国際農業開発基金などの新設、食糧援助の大幅増大の決議案と飢餓追放の行動宣言を採択 24日 米ソ首脳はウラジオストク会談で協調関係を再確認する共同コミュニケと、戦略兵器制限交渉(SALT)に関する共同声明を発表 | ||||
64歳 | |||||||
昭和49年(1974) | 12月 1日 “椎名裁定”のあと夜、田中・大平会談 6日 「週刊朝日」の座談会「宰相池田勇人」に出席 9日 大蔵大臣に留任。三木内閣初閣議 10日 各社別会見。NHK主要閣僚座談会「三木政権の課題」に(福田経企庁長官、宮沢外相、井手官房長官と)出席しインフレ対策に最重点をおき、公共料金は引き上げるべきものは引き上げると述べ、福田経企庁長官、河本通産相との経済政策の違いを見せる 13日 A・S・フリードマン博士へ勲章を伝達 14日 第74臨時国会開会式で財政演説を行う 16日 フジテレビ「三木新内閣の課題」に(福田経企庁長官、河本通産相、安倍農相と)出席 23日 公害対策会議、中央交通安全対策会議、消費者保護会議、中央防災会議の各委員に就任 25日 森永貞一郎日銀総裁と大臣室で会談 27日 皇室経済会議、宮中御陪食会に出席。IMF、国際復興開発銀行等の日本代表に就任 28日 臨時閣議で50年度予算編成方針を決定。NHK「新春討論会」録画(桜田、大木、下村、木村各氏と) | 1日 椎名副総裁は、四実力者との「五者会談」で三木武夫氏を新総裁に推す裁定案を提示 2日 国連大学本部が東京の帝国ホテルの仮事務所で発足 4日 三木武夫総裁誕生 9日 三木武夫内閣成立 10日 経済対策閣僚会議が新設され福田経企庁長官が座長 17日 経済対策閣僚会議は初会合で「静かで控えめな成長」を基本の経済運営を決定 18日 倉敷市水島で原油流出 23日 参院本会議で49年度補正予算案が可決、成立 27日 第75通常国会召集 | 5日 訪米中のシュミット西独首相とフォード大統領の正式会談が始る 14日 国連総会本会議で、国際連盟時代から課題となっていた「侵略」の定義が表決抜きの“総意”で採択 15〜16日 フォード米大統領とジスカールデスタン仏大統領はフランスで会談し、石油消費国間の連帯と消費、産油国間の対話の必要を強調 | ||||
64歳 |
ホームページ | 年譜のトップ | 前の年代 | 次の年代 |