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第30回受賞作及び受賞者名

『反市民の政治学?フィリピンの民主主義と道徳』 (法政大学出版局、2013)

日下 渉(くさか・わたる)(名古屋大学大学院 国際開発研究科 准教授)

道徳の境界線を越えた共同性

  このたびは名誉ある大平正芳記念賞を賜り、身に余る光栄に存じております。貴財団の皆様、選考委員会の先生方に心より厚く御礼を申し上げます。
  拙著は、マニラのスラムで暮らした経験に基づいて、「政治の道徳化」が民主主義を脅かしていると論じました。スラムでは、不法占拠や街頭販売といった不法行為で貧困層は生計を立てていて、票の売買も横行しています。中間層や政治家は、彼らを国の発展を損なう悪しき犯罪者だと道徳的に非難して、排除してきました。しかし、貧困層が不法な生計や票の売買に頼らざるを得ないのは、不平等な社会経済構造のためです。社会経済的な問題を道徳の問題にすりかえるのは、不平等を隠蔽する偽りの処方箋です。一般に、民主主義には道徳的市民が不可欠だと主張されます。しかし、「正しき市民」の標榜は、特定の人々を「非市民」として排除することに繋がり、民主主義の基本たる複数性を脅かしてしまいます。しかも、悪しき「非市民」とされた人々の声には耳が傾けられないため、社会には敵意や怨嗟が積み重なっていきかねません。
  昨今の日本でも、「悪しき敵」を国民の内外に作り出して、彼らの排除を訴える政治の道徳化が昂進しているのではと危惧します。その背景には、おそらく福祉国家の解体や雇用の流動化に伴う生の不安定化や閉塞感があります。国家が後退するなか、私たちは生存のために人が人を蹴落とし続ける過酷な競争社会を所与とせず、いかにしたら多様な人々と対立しつつも互いの生を支えあえるのでしょうか。フィリピンでは、国家が人々の生を保障しないため、道徳的に反目しながらも互いの生を支えあう実践が濃密にあります。そして、様々な交渉相手と粘り強く対話を重ねた大平首相の政治哲学も、敵への恐怖や対抗心を煽る道徳の政治とは対極にあると思います。そうした実践や思想から学びつつ、人々を善悪で切り分ける政治の道徳化に抗して、「正しさ」に依拠しない共同性を模索し、それを民主主義の基盤にしていく方途を、今後も考えていきたいと思っています。

略歴
1977年埼玉県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。フィリピン大学第三世界研究所客員研究員。九州大学大学院比較社会文化学府博士課程単位取得退学、博士(比較社会文化)。京都大学文学研究科グローバルCOE研究員、京都大学人文科学研究所助教を経て、現在、名古屋大学大学院国際開発研究科准教授。
 主な業績に、「秩序構築の闘争と都市貧困層のエイジェンシー?マニラ首都圏における街頭商人の事例から」、『アジア研究』53(4)、2007: 20-36頁(アジア政経学会優秀論文賞)などがある。

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