『海域世界の民族誌-フィリピン島嶼部における移動・生業・アイデンティティ』(世界思想社 2007年)
関 恒樹(せき・こうき)(広島大学大学院国際協力研究科助教)
<グローバル化の中での社会的紐帯と共同性の研究に向けて>
この度は第24回大平正芳記念賞を賜り、誠に光栄に存じます。さらなる研究の小さな一歩を進める勇気を与えて下さった選定委員会の先生方、財団の皆様に深く感謝申し上げる次第です。受賞作となった拙著は、フィリピン中部ビサヤ海域の島々に暮らす漁民たちの日々の喜びや願望、あるいは不安や葛藤などを、東南アジア多島海域社会という生態環境的背景の中で論じたものです。フィールドワークで出会った漁師や行商人達が、問わず語りに語った生活、仕事、心情を記述した、地味で「泥臭い」民族誌が、大平賞のような栄誉ある賞をいただいたということは非常な驚きであると同時に、このような営みが異文化やアジアの隣人の理解にとって一定の有効性を持つことが認められたことを大変嬉しく思います。
「漁師の生活は浜辺に寄せる波のよう。満ちたと思えば引いてゆく」、「漁師は大海に浮かぶ藻のようなもの。波にもまれて漂うばかり」。私がフィールドで出会った人々が語るように、海に生きる人々の生活は不確実性に支配されています。しかしそのような不確実性に直面しつつも、漁民達はただ「漂うばかり」ではなく、人と人とのネットワークの融通無碍な操作を基本とする様々な生活戦略を展開しつつ、自らの生きる場を確保してゆきます。拙著前半では、人々の移動に注目してそのような戦略実践を論じました。
また、このような漁民達の生活を支える社会的紐帯やコミュニティを見る時に欠かせない視点が、様々なレベルに作用する権力関係です。彼らの社会空間は、様々な社会階層に属する他者のみでなく、精霊、聖人、神など超越的領域に属する他者との力関係が生み出す差異と断絶を内包しています。そのような差異にもかかわらず他者とつながろうとする試みの中に、人々のアイデンティティ構築の実践が見て取れます。拙著後半ではこの点を論じました。
今後も、フィールドでの人々との具体的な出会いに立脚しつつ、グローバル化の波に巻き込まれるフィリピン、日本、そしてアジアにおいて、生成しつつある社会的紐帯と共同性に関して研究を継続してゆきたいと考えております。
略歴
1968年東京都生まれ。1991年立教大学文学部卒業。1996年フィリピン大学大学院アジア・センター修士課程修了。2004年立教大学大学院文学研究科より博士号(文学)取得。日本学術振興会特別研究員(2002-2003)、アテネオ・デ・マニラ大学フィリピン文化研究所客員研究員(1998-2002)、広島大学大学院国際協力研究科助手(2002-2006)を経て、2007年より同研究科助教。専攻は文化人類学、東南アジア地域研究。