昭和50年(1975) | 1月 4日 臨時閣議で50年度予算大蔵原案を了承、内示 6日 経済四団体新年会に出席 7日 IMF、国際復興開発銀行、投資紛争解決国際センター、アジア開発銀行、アフリカ開発基金などの日本政府代表となる 10日 50年度予算の大臣折衝、党三役折衝。臨時閣議で概算の打ち止め 12日 IMF・世銀総会等に出席のため羽田空港発、ワシントン着 13日 5カ国蔵相会議(ワシントン)に出席 14日 10カ国蔵相会議(IMF)に出席 15日 IMF暫定委員会に出席 16日 IMF暫定委員会、サイモン米財務長官主催晩餐会に出席 17日 開発委員会に出席。ワシントン発、ホノルル泊 18〜19日 ホノルル発、羽田空港19時20分着 22日 日本記者クラブ(帝国ホテル)で講演。ヘスター国連大学学長と会談 24日 衆参両院本会議で財政演説を行う。「今週の日本」のインタビュー 30日 12チャンネル「スタジオ9・経済の広場」で「インフレ、不況にどう対応するか」を語る | 5日 環境庁は自然環境保全調査(緑の国勢調査)の結果国土の八割が開発と発表 6日 日本のマンモスタンカーがマラッカ海峡南端で座礁 11日 50年度予算案は復活折衝で、一般会計21兆2888億円(24.5%増)財政投融資9兆3100億(17.5%増)と決定 15日 宮沢外相は日ソ間の懸案(北方領土)問題を話し合うために訪ソ 20日 大蔵省は49年の輸出は551億ドル、輸入は621億ドルで70億ドルの史上最高の輸入超過と発表 24日 第75通常国会再会 | 14日 ワシントンでの先進10カ国蔵相会議で、オイルダラー還流策として総額援助協定をつくる合意が成立 18日 中国の全国人民代表大会は周首相を再任、*トウ小平氏を筆頭副首相に任命 25日 パングラデシュ議会は憲法を改正しラーマン首相を全権掌握の大統領に選出 29日 訪仏中のサダト・エジプト大統領とジスカールデスタン大統領の会談で、仏が対エジプト武器輸出に同意したとの共同コミュニケを発表 31日 フォード大統領とウイルソン英首相のワシントンでの会談で、対ソ緊張の緩和継続という共通の意思を確認 | ||||
65歳 | |||||||
昭和50年(1975) | 2月 3日 予算委員会。三菱社長会の朝食会で講演 13日 経済同友会朝食会で挨拶 19日 小林中、桜田武両氏と会談 | 7日 1月の卸売物価が47年1月以来3年ぶりに下落 | 11日 サッチャー女史が英国保守党党首に選出される | ||||
65歳 | |||||||
昭和50年(1975) | 3月 12日 大蔵大臣公邸で開かれた誕生パーティに出席。連日国会で予算審議 | 10日 新幹線が博多まで開通 | 6日 OPEC首脳会議がOPEC“憲章”を採択 | ||||
65歳 | |||||||
昭和50年(1975) | 4月 4日 チャウシェスク・ルーマニア大統領歓迎式 5日 チャウシェスク大統領晩餐会 7日 OECD会議(パリ)出席のため羽田空港発 8日 パリ着。フルカード仏蔵相と会談 9日 OECD金融支援基金協定会議。OECD事務総長主催レセプション 10日 シラク仏首相と会談 11〜12日 パリ発、羽田空港17時20分着 15日 衆院大蔵委員会で“財政危機宣言”をする 17日 ティザード・ニュージーランド副首相兼蔵相と会談。21日、同相と大使館で懇談 27日 河本通産相出張中の臨時代理(5月4日まで) 29日 天皇誕生日祝宴に宮中に参内 | 2日 参院は50年度予算案を政府原案通り可決、成立させる。暫定予算が組まれなかったのは四年ぶり 13日 統一地方選挙の前段の17都道府県知事選などが行われ、保守は12道県知事選で勝つ 19日 カンボジア王国民族連合政府を唯一の合法政府として承認する | 6日 蒋介石国民政府総統が心臓発作のため死去。87歳 17日 カンボジアの解放勢力はほとんど抵抗を受けずにプノンペンを占領 30日 サイゴン無血で陥落、ベトナム戦争終結 | ||||
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昭和50年(1975) | 5月 6日 午前、アペル西独蔵相と会談。夜、第2回会談 7日 エリザベス英国女王歓迎式(迎賓館)と女王歓迎晩餐会(宮中)に出席 9日 インドネシアのヴィジョヨ開発企画庁長官、サレー中央銀行総裁と会談。金韓国首相と会談。エリザベス英女王のレセプションに出席 22日 リー・クワンユー・シンガポール首相と会談 25日 NHK「ニュース展望」で財政危機を語る 27日 全国信用金庫大会(経団連)で挨拶 29日 ジミー・カーター米ジョージア州知事と会談 30日 赤坂御苑の園遊会に出席 | 6日 稲葉法相が憲法記念日に自主憲法制定国民会議総会に出席したのを野党が批判 11日 第9回世界石油会議の東京大会が75カ国、6150人参加で開かれる 19日 警視庁特捜本部は一連の企業爆破事件の犯人を逮捕 24日 第75通常国会、40日間延長される | 1日 南ベトナム全土を解放したと宣言する革命政府は平和と非同盟外交の推進を声明 3日 サイゴン解放に伴い北ベトナムは、南ベトナムとの境界を開放 30日 北大西洋条約機構首脳会議は西側同盟の必要と団結を再確認し、7項目の最終コミュニケを採択 | ||||
65歳 | |||||||
昭和50年(1975) | 6月 2日 シュレーダー西独元外相歓迎晩餐会に出席 6日 故佐藤栄作元首相の葬儀、告別式(築地本願寺) 7日 イシコフ・ソ連漁業相と会談(日ソ経済委) 16日 佐藤元首相の国民葬(日本武道館)に出席 23日 日加閣僚委員会、カウンターパート会談に 27日 蔵相主催の日加閣僚委員会晩餐会で挨拶 | 3日 佐藤元首相死去。74歳 19日 国連主催の国際婦人年世界会議がメキシコ市で開幕 21日 日中漁業協定締結交渉が合意 | 5日 第3次中東戦争で閉鎖のスエズ運河が8年ぶり再開 6日 5日の国民投票の結果、英国のEC残留が決定 17日 イタリア統一地方選の結果、共産党は第一党と僅差 | ||||
65歳 | |||||||
昭和50年(1975) | 7月 1日 衆院本会議で大平蔵相不信任案が提出されるが否決される 4日 参院本会議で酒税法・たばこ定価法が時間切れで審議未了のまま廃案となったあと、臨時閣議に出席 11日 H・ベアワルド米カリフォルニア大学教授と会談 12日 故木村秀弘専売公社総裁の葬儀、告別式に出席 22日 日本記者クラブ(帝国ホテル)で講演 | 4日 第75通常国会閉会。公職選挙改正法、政治資金規正法改正案は成立。酒・たばこ値上げ法案、独禁法改正案は廃案 9日 日台空路再開協定調印 19日 沖縄海洋博開幕 | 1日 ククリット首相と周恩来首相はタイ・中国の国交樹立の共同声明に調印 18日 アポロ宇宙船とソユーズ宇宙船が史上初の国際ドッキングに成功 | ||||
65歳 | |||||||
昭和50年(1975) | 8月 1日 「中央公論」インタビュー(共同の内田、日経の坂口論説委員)。ジェイムソン「ロサンゼルス・タイムズ」東京支局長インタビュー 15日 中央防災会議。全国戦没者追悼式(武道館)に出席。福田経企庁長官臨時代理(28日まで) 19日 NHK放送座談会「財政危機をめぐって」(土屋清、伊部住銀頭取と)録画撮り 24日 宏池会研修会(箱根)で講演 28日 IMF総会等出席のためにアメリカヘ。在ニューヨーク日本商工会議所主催レセプション 29日 ニューヨーク金融界首脳と昼食会(ウォール・ストリート・クラブ)。ワシントン着 30日 10カ国蔵相会議の議長をつとめる。大平蔵相主催10カ国蔵相夕食会で挨拶 31日 IMF暫定委員会に出席 | 4日 日本赤軍はマレーシアの首都クアラルンプールの米、スウェーデン大使館を襲撃、人質をとり拘置されているメンバーの釈放を要求 6日 訪米中の三木首相はフォード大統領との会談後、共同声明を発表 15日 仮谷建設相らは本四連絡橋建設について、本州と四国を結ぶルートは児島・坂出の1ルートとし、他の2ルートでは大三島、大鳴門、因島大橋の三橋を部分着工するとの方針を確認 | 1日 欧州安保・協力会議首脳会議は、国境線の不可侵などの行動原則と東西交流の促進に基礎をおく欧州の共存体制をうたう文書に署名 15日 バングラデシュで軍部によるクーデタがおこり、ラーマン大統領が殺害される 20日 アメリカは火星の生命探査を目的の無人宇宙船バイキング1号の打上げに成功 24日 IMFは変動相場制を高く評価し景気回復に米、西独、日本の主導的役割を要望 | ||||
65歳 | |||||||
昭和50年(1975) | 9月 1日 IMF年次総会、開会式、年次討議に参加し演説を行う。大平蔵相主催アジア太平洋諸国総務昼食会で挨拶 2日 ワシントン発、ロサンゼルス着。H・ベアワルド米カリフォルニア大学教授宅を訪問 3〜4日 ロサンゼルス発、ホノルル経由で16時50分、羽田着 9日 「自由民主」インタビュー(日経松田論説委員) 12日 NHK「一億人の経済」録画。フジテレビ「お茶の間エコノミー」録画 14日 福田赳夫経企庁長官臨時代理(15日まで) 16日 ワルダナ・インドネシア蔵相と会談 22日 ヒース元英国首相と会談 30日 天皇陛下訪米のお見送り(羽田)。福田経企庁長官臨時代理(10月14日まで) | 11日 第76臨時国会召集 15日 第8回日韓閣僚会議がソウルで開かれ、終了後、抽象的内容の声明を発表 17日 政府は経済対策閣僚会議を開き、景気回復をめざす第4次不況対策を決定 29日 日中復交3周年にあたり、日中両国民の親善・友好関係の促進をめざす日中協会が発足 30日 天皇・皇后両陛下は御訪米の途につかれる | 4日 エジプトとイスラエルの第二次シナイ半島無力引離し協定が正式調印 16日 オーストラリアの自治領パプア・ニューギニアが独立 21日 米「ニューズウィーク」誌はB・クリッシャー東京支局長の天皇陛下との単独会見記を掲載。陛下は、太平洋戦争開戦は閣議決定によるもので覆すことはできなかった、終戦は閣内意見がまとまらず首相が意見を求めてきたので自分で決定した、と述べる | ||||
65歳 | |||||||
昭和50年(1975) | 10月 14日 天皇皇后両陛下、帰国お迎え(羽田空港) 15日 全国信用組合大会で挨拶 16日 地方銀行大会(地銀会館)で挨拶 17日 衆参両院本会議で財政演説を行う 18日 NHK国会討論会「補正予算をめぐって」に出席(各党改審会長と) 22日 国民参政85周年式典(国立劇場)に出席 23日 キッシンジャー米国務長官と会談 24日 衆院本会議で大平蔵相不信任案が提案され、否決 | 25日 徹夜の衆院本会議は、酒・たばこ・郵便値上げ三法案を可決 29日 坂田防衛庁長官はポスト四次防の新防衛力整備計画基本構想を統幕議長に示す 31日 天皇・皇后両陛下は皇居で記者団と初めて公式に会見され、御訪米の印象や在位50年間の苦楽などを話される | 9日 ノーベル委員会は、1975年度のノーベル平和賞をソ連のアンドレイ・サハロフ博士に贈ると発表 17日 ジスカールデスタン大統領とブレジネフ書記長は仏ソ友好・協力発展宣言に調印 28日 サダト、フォード両大統領の話し合いが順調に進展 | ||||
65歳 | |||||||
昭和50年(1975) | 11月 2日 党政経文化パーティ(高松市)に出席 13日 参院大蔵委で酒・たばこ値上げ法案について説明。先進国首脳会議出席の三木首相とともに羽田発 14日 パリ着、フルカード仏蔵相を訪問 15日 先進国首脳会議(ランブイエ城)に出席。仏大統領主催晩餐会に出席 16日 各国蔵相会議に出席しコミュニケ案を検討。首脳会議を13時に中途退席、パリ発 17日 18時25分、羽田空港着 26日 「ファイナンス」誌の新春放談(柳は緑、花は紅)に(城山、牛尾、栗尾、吉国氏と)出席 28日 「自由新報」紙で下村治氏と対談 29日 自民党結党20周年式典(ホテルオークラ) | 7日 50年度補正予算案が参院本会議で可決、成立 20日 参院大蔵委で酒・たばこ値上げ二法案は混乱のうちに可決。これを不当とする野党は、その後の衆参両院の審議を一斉に拒否 22日 衆院本会議で臨時国会の会期を26日間延長と議決 26日 公労協等スト権奪還をめざして10日間にわたる史上最大規模の統一ストに突入 | 11日 オーストラリアのカー総督は政治危機解決のため非常大権でウィットラム首相を解任し、フレーザー自由党首を選挙管理内閣の首班に指名 15日 日、米、仏、英、伊、西独の6カ国が世界経済協調の道を探る第1回主要先進国首脳会議は、パリ郊外のランブイエ城で開催 20日 スペインのフランコ総統が死去。82歳 | ||||
65歳 | |||||||
昭和50年(1975) | 12月 5日 アグニュー元米副大統領と会談 12日 参院本会議で大平蔵相問責決議案を否決 24日 参院本会議で特例公債法案を可決。臨時閣議で51年度予算案大蔵原案を審議。予算内示 30日 51年度予算の大蔵折衝を受ける。機構関係、国鉄問題等で三役折衝を受ける 31日 臨時閣議で51年度予算案を決定 | 12日 参院本会議で酒税法、たばこ定価法案を延会のうえ、翌13日23時8分、可決 24日 24兆2900億円の赤字国債の発行決定 27日 第77通常国会召集 | 2日 フォード大統領は北京で毛沢東主席と会見 7日 フォード大統領ハワイで演説、新太平洋ドクトリンを打ち出す | ||||
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