昭和51年(1976)   1月
4日 IMF総会出席のため羽田発、マイアミ着
5日 マイアミ名誉総領事主催晩餐会に出席
6日 マイアミ発。ジャマイカ、キングストン・タウン着、サイモン米財務長官と会談、10カ国蔵相会議に出席
7日 暫定委員会、各国蔵相晩餐会に出席
8日 ウィッテヘーンIMF専務理事主催昼食会、暫定委員会に出席
9日 マクドナルド加蔵相と会談。IMF・世銀合同開発委員会に出席
10日 キングストン・タウン発、メキシコ・シティ着
11日 メキシコ蔵相主催晩餐会に出席
12〜13日 メキシコ・シティ発、ロサンゼルス経由、羽田着(22時5分)
14日 故周恩来中国首相を弔問(中国大使館)
21日 自民党大会(文京公会堂)に出席。日本記者クラブで「今後の経営運営」を講演。放送政治懇話会で講演
23日 衆参両院本会議で財政演説を行う
 
9日 ベトナム民主共和国大使館が、東京、渋谷に開設
14日 第4回日ソ外相会議が終了し北方領土問題進展せず
18日 沖縄海洋博覧会は半年間の期日を終え閉幕、入場者は348万人で予想を100万人下回る
21日 第31回自民党大会開催
23日 第77通常国会が再開
31日 鹿児島市内でわが国で初の五つ子が誕生
 
5日 カンボジア王国民族連合政府はカンボジア民主国と改称し、6日、元首にシアヌーク殿下を選出
8日 周恩来中国首相が死去。78歳
15日 フセイン・オン首相代行がマレーシアの新首相に
19日 フォード米大統領は年頭教書で国防費の大幅増額と健全な経済成長を目ざすと表明
28日 米上院本会議は米国沿岸に200カイリの漁業専管水域を設定する法案を可決
66歳
  昭和51年(1976)   2月
9日 コナリー元米財務長官と会談。コレアUNCTAD事務局長と会談
11日 シュルツ前米財務長官のディナーに出席
16日 オスマン・モロッコ首相歓迎式典(迎賓館)
 
20日 政府は閣議でアンゴラ人民共和国の承認を決定
23日 衆参両院本会議はロッキード事件解明の決議を採択
 
4日 米上院外交委員会の公聴会でロッキード事件を暴露
7日 華国鋒中国副首相が首相代行に就任したと発表
66歳
  昭和51年(1976)   3月
6日 皇后陛下誕生祝賀で宮中へ参内。ロッキード事件をめぐる国会空転のなかで暫定予算案の成立に奔走
 
31日 参院本会議で暫定予算案、関税・租特措置法が成立
 
14日 サダト・エジプト大統領はソ連との友好条約破棄を宣言
66歳
  昭和51年(1976)   4月
7日 信託銀行大会(経団連)で挨拶
15日 ラディウス・インドネシア通商大臣と会談
19日 クリッシャー「ニューズ・ウイーク」東京支局長がインタビュー
22日 マルドゥーン・ニュージーランド首相歓迎晩餐会(官邸)に出席
28日 マルドゥーン首相と会談(迎賓館)
29日 天皇誕生日祝宴で宮中に参内
 
9日 衆院本会議で51年度予算案を可決、参院へ送付
20日 交通ゼネスト始まる(22日妥結)
28日 衆院本会議で核拡散防止条約の批准承認が自民、社会、公明、民社4党の賛成多数で可決
 
7日 北京放送は華首相代行が党第一副主席・首相に選ばれたと発表
13日 フォード大統領が200カイリ漁業専管水域設定法案に署名し、同法が成立
66歳
  昭和51年(1976)   5月
9日 三木退陣について椎名・大平会談
12日 アブドル・アジス・カタール財政金融大臣と会談
25日 リチャードソン米商務長官晩餐会。宏池会定例総会で“みそぎ”発言
26日 リチャードソン米商務長官と会談
27日 赤坂御苑の園遊会に出席
 
8日 衆院本会議で51年度予算案が政府原案通り可決成立
11日 福田、田中、大平3派幹部は危機打開と党近代化実現のために協力を誓う
24日 第77通常国会閉会
 
1日 テキサス州の予備選でレーガン前カリフォルニア州知事がフォード大統領に圧勝
28日 バリ島で開催のOPEC総会は原油価格を当分の間、据えおくことで合意
66歳
  昭和51年(1976)   6月
1日 全国銀行大会で挨拶
17日 フレーザー・オーストラリア首相晩餐会に出席
18日 フレーザー首相と会談(迎賓館)
25日 プエルトリコ・サンファンでの第2回先進7カ国首脳会議出席のため羽田発、ロサンゼルス着
26日 ロサンゼルス発、プエルトリコ・サンファン着。フォード米大統領主催レセプションに出席
27日 首脳会議。フォード大統領主催晩餐会に出席
28日 首脳会議。共同声明発表。共同記者会見を行う
29日 プエルトリコの日本工場見学。サンファン発
30日 ベルギーのブラッセル着。西堀大使主催夕食会(大使公邸)に出席
 
21日 三木首相と椎名副総裁の会談で、適切な時期に臨時国会を開き重要案件の成立を期すなど4項目を合意
25日 長老支配と派閥対立の下で更生は期し難いとして、自民党離党を決意表明していた河野洋平氏ら衆参両院議員6人は、離党届を提出し新自由クラブを結成
 
2日 ソ連とフィリピンは外交関係樹立の共同声明に調印
4日 カナダ政府も漁業専管水域を200カイリと宣言
8日 大統領予備選が終了。民主党はカーター前ジョージア州知事、共和党はフォード大統領がそれぞれ首位
28日 サンファン・サミットはインフレなき景気拡大、国際経済の新しい協調策をさぐる共同声明を発表
66歳
  昭和51年(1976)   7月
1日 ド・クレルク・ベルギー蔵相と会談。オルトリEC委員長と会談
2〜3日 ブラッセル発、羽田空港に18時着
15日 マンスフィールド米上院議員と会談
29日 シラク仏首相歓迎晩餐会(官邸)
 
25日 外務省は占領政策をめぐる一連の会議録を公表
27日 田中前首相逮捕される
 
14日 民主党の大統領候補に選ばれたカーター氏は、15日リベラル派のモンデール上院議員を副大統領候補に選ぶ
66歳
  昭和51年(1976)   8月
15日 全国戦没者追悼式(日本武道館)
12日 三木退陣について大平・三木会談
24日 午前9時半より両院議員総会に出席。午後5時より三者会談(大平、福田、三木)
25日 第2回三者会談(大平、福田、三木)
29日 宏池会青年研修会(箱根)で講演
 
19日 反三木各派は、自民党国会議員の三分の二を超す277人の署名を集め「挙党体制確立協議会」を結成する
 
19日 フォード大統領はレーガン氏を破り共和党大統領候補となり、保守派のドール上院議員を副大統領候補に選ぶ
66歳
  昭和51年(1976)   9月
10日 閣議に28兆8347億円の52年度予算概算結果を報告する。故毛沢東主席を弔問(中国大使館)
15日 三木改造内閣で蔵相に留任。初閣議
16日 日伯閣僚会議(外務省)に出席。ウエキ・ブラジル鉱山動力相と会談。ガイゼル・ブラジル大統領歓迎宮中晩餐会に出席。ブラジルから南十字星勲章一等を贈られる
21日 全国証券大会(経団連)で挨拶
27日 ローリング・ニュージーランド前首相と会談
30日 ヒース・イギリス前首相晩餐会(英大使公邸)
 
11日 三木・中曾根と保利・船田会談で臨時国会前の内閣・党人事刷新、臨時国会での懸案処理、臨時国会後に総選挙に臨む態勢整備の3項目で合意し党内抗争は一応収拾
15日 三木改造内閣が発足
16日 第78臨時国会召集
 
9日 毛沢東中国共産党主席が死去。82歳
18日 毛沢東追悼集会が天安門広場で100万人が参加して行われ司会は王洪文党副主席、追悼演説は華首相が行う
20日 前日行われた総選挙の結果、スウェーデンのパルメ社会民主内閣は総辞職
66歳
  昭和51年(1976)   10月
7日 フサーク・ハンガリー副首相と会談
8日 バルーア・ペルー経済財政相と会談
12日 マルチネス・アルゼンチン経済相と会談
14日 ツェモヴィッチ・ユーゴ蔵相と会談
16日 バーンズFBR議長と会談
20日 第1回大福会談。鈴木、園田、保利が立ち会う。ウイジョヨ・インドネシア開発企画庁長官と会談
22日 トルドー・カナダ首相歓迎晩餐会
25日 ウルグアイのブランコ外相、エルグ経済相と会談。トルドー首相と会談
26日 トルドー首相歓迎行事(迎賓館)
27日 第2回大福会談、“大福覚書”をかわす
29日 赤坂御苑での園遊会に出席。天皇陛下御在位50年記念式典委員となる
30日 東京都世田谷区瀬田1ノ28ノ3に新居完成
 
13日 自民党の党則改正調査会が総裁公選規程改正の起草委員会案をまとめる。総裁選を全党員による予備選挙と、党所属国会議員による本選挙の二本立てとする
15日 財政特例法案が参院本会議で修正可決されたあと衆院本会議でも可決され、成立
21日 挙党体制確立協議会は新指導者に福田長官を選ぶ
 
4日 IMFと世銀の年次総会がフィリピンで開幕。森永日銀総裁が世界経済の現状や通貨問題・開発途上国問題について、わが国独自の分析と主張を述べる
22日 中国の全報道機関が、華国鋒首相の党中央委主席、党中央軍委主席就任と王洪文党副首席、張春橋副首相、江青女史、姚文元党政治局員の4人組反党グループの政権奪取陰謀の摘発を報道
66歳
  昭和51年(1976)   11月
6日 貨幣大試験(大阪造幣局)。金融懇談会に出席
10日 天皇陛下御在位50年記念式典(武道館)に出席。OAPEC石油大臣が表敬
11日 宮中茶会に出席
12日 自民党演説会(日比谷公会堂)に出席
15日 都内、近県遊説。バンダラナイケ・スリランカ首相歓迎晩餐会(官邸)
 
4日 参院本会議で懸案の国鉄運賃、電報電話値上げ二法が成立。第78臨時国会盟。会初の任期満了の総選挙となる
5日 福田経企庁長官が辞任
 
3日 米国大統領選挙が行われ、カーター民主党候補が現職の共和党フォード大統領を破り当選
30日 全国人民代表大会常務委員会が開かれ、華主席の就任と4人組紛砕の演説を承認
66歳
  昭和51年(1974)   12月
4日 香川2区内を遊説(観音寺市大平事務所泊)
5日 大平事務所発、帰京。衆議院議員に当選10回。得票数9万8412票、得票率42・3%で第1位
7日 実兄大平数光前豊浜町長が心筋梗塞で死去。68歳
9日 兄数光の葬儀に参列(豊浜小学校)
 
5日 第34回総選挙
6日 開票の結果、自民249で単独過半数を割るが、無所属を追加公認して過半数に
7日 三木首相辞意表明
 
10日 ソ連は、自国の沿岸海域について200カイリ専管水域を設定
15日 シュミット杜会民主党党首が引き続き西独首相に
66歳


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