昭和54年(1979)   1月
1日 10時皇居の新年祝賀の儀へ。党本部の祝賀会で「政局の安定と経済の着実な拡大を期したい」と挨拶。午後、東宮御所など皇族へ挨拶回り。公邸で閣僚、党役員、議員ら300人の年始に応対
2日 遠藤福雄神崎製紙社長、佐々木丸茶社長らとゴルフ
3日 10時、田中官房長官、11時20分、岡田広参院議員が年賀の挨拶
4日 8時の新幹線で伊勢神宮参拝へ。渡辺農水相、三原総務長官、上村環境庁長官が同行。正午すぎ参拝。記者会見で「訪米は当面考えていない。一般消費税は55年度のなるべく早い時期に導入の契機をつかみたい」などの考えを示す。20時20分、帰邸
5日 閣議で54年度予算内示。「自由国民会議会報」のために黛敏郎氏と対談。経済四団体の新年会で「寒梅のような凛とした気品とうつぼつたる活力のある年にしたい」と挨拶
6日 朝、官邸で「今年の正月は穏やかで、これまでにないいい正月だった」と語る。党東京都連の浜野清吾代議士らが、東京都知事選の候補者選考について相談
7日(日) 衆院京都二区補選の党公認候補応援のために京都市入り。記者会見で、航空機輸入問題で疑惑の解明は捜査当局を信頼している、E2Cの導入は技術的見地で判断する旨を語る。亀岡市、京都市、長岡京市で演説。19時半、羽田着
8日 プロボクシングWBA公認のジュニアフライ級世界チャンピオン具志堅用高選手と会う。表敬のクラーク・カナダ進歩保安党首とエネルギー食糧問題で意見交換。大平会
9日 内外情勢調査会の新年会で「それぞれ音色があるが(今年の日本を)一つの重量感をもった音楽にするよう、各人が自重して行きたい」と挨拶。古河グループの新年会
10日 マンスフィールド駐日米大使が表敬。保利、安井衆参両院議長らと夕食
   
5日 閣議に一般会計38兆6001億円(前年度比12.6%増)財政投融資計画16兆4360億円の54年度予算大蔵原案を提出。国債依存率は前年度の36.9%から39.6%へ上昇し、最高の水準となる。直ちに各省に内示、復活折衝に入る
   
1日 米国と中国は30年ぶりに国交回復。台湾とは断交
4日 米証券取引委がグラマン社の海外不正支払いに関する報告書を公表。早期警戒機E2Cの売り込みに際し、日本政府高官にコミッションの一部が贈られる可能性を察知していたことを示唆する
 パーレビ・イラン国王、バクチアル氏を首相に任命
5日 米・英・仏・西独の欧米4大国首脳会議がカリブ海の仏領グアダループ島で開かれ、SALT、イラン、中東情勢、中国問題で意見交換
7日 カンボジア救国民族統一戦線軍が首都プノンペンを攻略、新政府は11日に国名をカンボジア人民共和国と決定
9日 ソ連、ハンガリー、東独などの共産圏諸国が、カンボジア新政権を承認
68歳
  昭和54年(1979)   11日 午前4時、官邸で国防会議。54年度予算案概算決定の臨時閣議。古井法相とダグラス・グラマン事件の日米司法取り決めについて会談。グレン米上院議員らが表敬。19時、予算案決定閣議
12日 梅棹忠夫国立民族学博物館長と会食、文化談義。国際児童年子どもの人権を守る連絡会議・羽仁説子代表委員らが国際児童年で要望
13日 9時すぎ羽田発、宮城政経文化パーティで「時代の目は地方に向いている」と挨拶。羽田着後、人間ドック入りで虎の門病院へ
14日(日) 終日、検査を受ける
15日 各種の検査が続く。異常なし
16日 朝、三菱金曜会。閣議で行政の簡素効率化について了解。13時、羽田発大阪へ。記者会見、政経文化パーティで「関西財界の皆様方に一層のお引き立てと統一地方選への協力をお願いする」と挨拶。19時20分、大阪発で帰京
17日 迎賓館でクリアンサック・タイ首相歓迎行事後、10時から官邸で同首相と第1回会談。皇居で同首相歓迎昼食会。田園都市構想政策研究グループ(議長・梅棹忠夫氏)の初会合に出席。19時半、官邸で首相夫妻主催クリアンサック首相歓迎夕食会
18日 日本学士院創立百年記念式典。日本新聞協会会長らと昼食懇談。クリアンサック首相と2回目の会談。同首相夫妻主催のレセプション
  11日 54年度政府予算案決定一般会計は原案どおり、財政投融資計画は16兆8327億円に増える
16日 飛鳥田社会党委員長と槇枝総評議長は、太田薫合化労連委員長を革新系都知事候補とすることで合意
  13日 ASEAN緊急外相会議は、カンボジア領内からの外国勢力の即時完全撤退と国連安保理が必要な措置をとることを求める共同声明を発表
15日 国連緊急安保理は、非同盟7カ国提出の「すべての外国軍隊のカンボジアからの撤退」要求決議案にソ連が拒否権を行使したので、決議を出さずに閉幕
16日 パーレビ国王はファラ王妃とともにテヘランを出発、エジプトのアスワンに向う。事実上の亡命生活に入る
68歳
  昭和54年(1979)   19日 9時半、迎賓館でクリアンサック首相歓送行事。ダグラス・グラマン事件の米側資料入手要請について閣議決定。第8回読売国際経済懇話会総会で講演。第19回交通安全運動国民大会。民放連総会で挨拶。17時半、東宮御所での夕食会
20日 田中官房長官、加藤、翁両副長官、秘書官らと施政方針演説の草稿を検討。帰宅途中、虎の門の書店に寄る
21日(日) 森美夫第百土地社長、於久昭臣秘書官らとゴルフ
22日 9時、官邸で新自由クラブの河野洋平代表らと都知事候補問題で会談。NHK「総理にきく」で高坂正堯、緒方彰氏と対談の録画撮り。日本記者クラブ昼食会で講演。西村英一代議士に党副総裁就任を要請。報道各社経済部長と懇談。牛尾治朗氏と都知事選について会談。施政方針演説検討の臨時閣議。末広会
23日 党本部での青年部婦人部合同大会で挨拶。トルン・ルクセンブルグ首相が表敬。昼、民放連代表者と懇談。党本部で全国幹事長会議。党改革本部が発足し役員と顔合せ。経団連正副会長と懇談。都知事選出馬の鈴木俊一公営企業金融公庫総裁と会談。報道各社経済論説委員と懇談。大栄会
24日 産業労働懇話会。10時、日比谷公会堂での第36回党大会で挨拶。正午すぎ官邸中庭で党大会出席者歓迎レセプション、記念撮影。官邸内大ホールでの経済審議会に出席。又信会
25日 朝、公邸で二木会。10時、政府演説決定の臨時閣議、併せて新経済社会7カ年計画の基本構想を閣議で了解。11時、参院本会議場で第87国会開会式。午後、党両院議員総会で「国会乗り切りのため党側のご支援を」と挨拶。13時、衆院本会議場で初の施政方針演説。15時すぎ参院本会議場でも同演説。製紙グループの会
26日 報道各社社会部長と懇談。青藍会。国策研究会新年会で挨拶
27日 私邸で国会の代表質問への答弁内容の勉強。色紙を書く、文面は「憂而不衰、窮而不困」
28日(日) 終日、私邸で国会の代表質問に備え、書類に目を通す
29日 13時まえ「無念無想で」と言いながら衆院本会議へ。代表質問。夜は志げ子夫人とともに「如水会」の首相就任祝賀会に出席し、「これから精進して一橋も大平を出してよかったものだ、とせめて言われるようになりたい」と挨拶
30日 10時、参院本会議。正午すぎナラヤナン国際自由労連会長と会談し、「労働サミット」に協力を約束。14時衆院本会議。本会議終了後、保利議長の辞意表明を受け「保利さんにはよくやっていただいた」と語る。関西吉兆会
31日 10時参院本会議。午後、衆参両院予算委員会で予算案提案理由説明。斎藤幹事長ら党幹部と協議のうえ灘尾弘吉代議士に衆院議長就任を電話で要請。参院議員の集まり新生同友会に出席
  23日 鈴木俊一氏は自民、公明、民社3党の東京都知事選出馬の要請に受諾回答
 航空機輸入問題で米側非公開資料入手のための日米司法取決めが結ばれる
20日 奈良市の茶畑から古事記の編者太安万侶の墓が発見される。墓誌に「太朝臣安萬侶」とあり、死亡年月日も続日本紀の記述と1日しか違わない
24日 経済審議会が54年度を初年度とする新経済社会7カ年計画の基本構想を決定。(1)経済成長率は年率実質5.8%程度(2)完全失業率を現在の2.3%から1.7%に(3)消費者物価の上昇率を年度平均5%程度とする
 第36回自民党大会で三百万党員の実現、党改革推進等の運動方針を決め、西村英一副総裁を選出
25日 第87通常国会再開。全長2万2226m、山岳トンネルでは世界最長の上越新幹線大清水トンネルの開通式
26日 総理府統計局は、53年平均の全国消費者物価指数が122.6で52年平均に比べ3.8%上昇にとどまり、18年ぶりに低い上昇幅と発表
28日 新自クは、第2回全国代議員大会で「中道寄り」を改め「保守刷新」を基本路線とする活動方針を決定
29日 防衛庁筋はソ連軍が北方領土の国後、択捉両島にかなりな規模の地上軍部隊を配備し、本格的な基地建設を行っていることを明らかにする
30日 保利茂衆院議長が健康悪化を理由に辞表提出。第60代議長には灘尾弘吉代議士が就任。自民党を離脱
  19日 朴正煕韓国大統領は朝鮮民主主義人民共和国に「平和統一のため南北の当局者が無条件で直接合って話し合おう」と年頭記者会見で提案
31日 28日ワシントン入りした*トウ小平中国副首相は、米議会で台湾問題での武力不行使を示唆し、科学技術交流協定など初の政府間協定に調印
68歳

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