昭和54年(1979)   3月
1日 党本部で全国幹事長会議。13時、衆院本会議。予算修正問題について、15時から竹入公明、佐々木民社両党委員長と会談。両者は形式修正を強く求める。16時から河野新自由ク代表と会談。17時、党三役、金丸国対委員長らと予算修正問題を協議し、「一晩寝て、ゆっくり考えてみることになった」。党執行部は形式修正に傾く。政治評論家と懇談
2日 閣議前、金子蔵相、長岡大蔵次官と予算修正問題で打ち合せ。閣議で予算修正問題の総理一任をとりつける。10時、党役員会。大平首相は形式修正を拒否、実質修正で野党と再折衝。13時から参院本会議。永田航空機輸入問題特別委員長ら訪米議員団が報告
3日 衆院予算委員会再開。首相番記者と懇談し予算修正問題の考え方を説明。帰途私邸近くの書店に寄る
4日(日)私邸で読書とテレビ。夕方、保利前衆院議長宅を弔問
プルメンソール米財務長官、マンスフィールド駐日米大使と朝食
5日 会談。衆院予算委員会。昼の休憩時にラジャラトナム・シンガポール外相、ローリング・ニュージーランド労働党首が表敬。18時すぎ南北問題国際シンポジウムのレセプションで挨拶
6日 10時半、皇后陛下の誕生日祝賀のため志げ子夫人と皇居へ。午後、衆院予算委員会。衆院大蔵委員会。環太平洋連帯研究グループ(議長・大来佐武郎氏)初会合に出席し「海は人を結ぶもの。反政府的でも結構なので活発な議論を」と挨拶
7日 衆院予算委員会、討論採決の結果、否決。16時すぎ鳩山一郎元首相没後二十年祭で挨拶。17時すぎから衆院本会議で54年度予算案を可決。21時すぎ散会。衆院正副議長、各党党首に挨拶回り
8日 朝、二木会。10時、参院予算委員会。大平会。19時すぎ築地本願寺で故保利前衆院議長の通夜
9日 参院予算委員会。昼、故保利前議長の自民党葬。19時、故成田前社会党委員長の通夜。大雄会
10日 NHK「総理にきく」で木村尚三郎、家城啓一郎両氏と対談の録画撮り。10時、参院予算委員会。17時半、園田外相、田中官房長官らと園田訪米を控えて日米経済摩擦問題の協議
   
2日 政府・自民党は党役員会議で54年度予算案形式修正拒否の決定を受け、実質修正の折衝に入る
4日 保利前衆院議長が心不全のため死去。77歳7日 54年度政府予算案は野党多数の衆院予算委で1票差で否決されたあと、本会議で14票差で可決される。昭和23年の芦田内閣以来31年ぶりの逆転可決
9日 成田知巳前社会党委員長が急性骨髄性白血病で死去。66歳
   
1日 西独最高裁は「労働者の経営参加を大幅に認めた共同決定法は憲法違反である」とする経営者団体の訴訟で、経営者側の主張を全面的に退けて合意の判決を下す
2日 国際エネルギー機関(IEA)理事会は、パリの会議で加盟20カ国の79年の石油節約目標を5%とすることに合意
69歳
  昭和54年(1979)   11日(日) スリーハンドレッド・クラブで田中文雄王子製紙社長、森第百土地社長、佐々木丸茶社長らとゴルフ
12日 10時、参院予算委員会。休憩時に記者団に69歳の誕生日を迎えた感想を聞かれて「年をとることは余り楽しいことではないね」と答える。18時、日米編集者会議歓迎レセプション。18時半、家族らと誕生パーティ
13日 ホルブルック米国務次官補が表敬。参院予算委員会。正午衆院本会議。13時参院予算委。14時半、社会党本部で故成田委員長との「お別れの会」。15時20分参院予算委員会。スパーク・マツナガ米上院議員が表敬。対外経済政策研究グループ第2回会合
14日 9時20分、数寄屋橋公園で都知事選応援の第一声。10時、参院予算委員会。田園都市研究グループの第3回会合
15日 9時半、第49回日商総会に出席。10時、参院予算委員会。正午、衆院本会議。13時、再び参院予算委。省エネルギー省資源推進本部。春芳会
16日 スリランカ国会議員団が表敬。10時、参院本会議。正午すぎ衆院本会議。15時半、東京サミット第1回担当者会議。三金会
17日 ドルオン仏元文化相がドージュ駐日仏大使と表敬。参院予算委員会で航空機輸入問題集中審議。休憩時に首相番記者と懇談
18日(日) 10時、横須賀市の防衛大学校卒業式で訓示。13時半、党本部を出発して都知事選応援のため町田、調布、三鷹、吉祥寺で遊説
19日 森永貞一郎日銀総裁がIMF暫定委員会の報告。14時、家庭基盤充実政策研究グループ(議長伊藤善市東京女子大教授)第1回会合に出席。上野の国立博物館での「中華人民共和国シルクロード文物展」を観覧。16時半、皇居で天皇に国政報告。関西吉兆会
20日 官邸でフォード前米大統領と懇談。皇居で同大統領歓迎の午餐。衆院本会議。18時すぎ厚生省慰霊室礼拝。戌年生まれの財界人・学者などの集まり「戌年の会」夕食会
  11日 新自ク、都知事選で麻生良方氏の推薦を決定
14日 15都道府県知事選、告示
15日 政府は省エネルギー・省資源対策推進会議を開き、ビルの暖房を19度以下、冷房を28度以上、マイカー使用の自粛など広範囲な「石油消費節約対策」を正式に決定
  12日 イランとパキスタンの両国は、中央条約機構(CENTO)から離脱
13日 7日から中東訪問中のカーター米大統領は、エジプト・イスラエル平和条約の主要な部分について両国の合意を獲得した、と発表
14日 イスラエル政府は閣議で、カーター米大統領が提案した平和条約の米修正案を承認。エジプト政府も閣議で15日に承認
 イランのバザルガン首相は、政府の関知しないところで実行不可能な政策を発表しているホメイニ師と、パーレビ国王時代の要人を秘密裁判にかけ処刑しているイスラム革命法廷とを非難
15日 トルコも中央条約機構から離脱すると宣言したため、英、米2国だけを残すことになって、同機構は事実上崩壊
69歳
  昭和54年(1979)   21日 皇居で春季皇霊祭、神霊殿の儀。多磨墓地で長男正樹の墓参り
22日 三菱グループ社長会の朝食会。米国の民放テレビWDVMのインタビュー。ソロモン諸島のキニカ副首相が表敬。午後、衆院本会議。報道各社政治論説委員との懇談。中曾根康弘氏らと夕食会
23日 鍛造大平会。日米経済調整で記者団に「やるべきときにやるべきことをやっていればいいんだ」と語る。正午から衆院本会議。一年生代議士の集まり「革政会」の昼食会。オーエン米大統領特別代表らが表敬。19時まえ帰宅し「あしたは(都知事選の)遊説だ。雨が降っても槍が降ってもやるよ」と語る
24日 都知事選応援のため、江戸川区の葛西駅前、江東区の富岡八幡宮前、墨田区の区役所前など4カ所で演説
25日(日) 8時20分羽田発、岩手県知事選のため花巻へ。正午から花巻市、北上市で応援演説。記者会見の後県庁前で演説。18時羽田着
26日 ミスユニバース・日本代表黒田百合香さんら表敬。ウイジョヨ・インドネシア経済関係調整相と会談。斎藤幹事長が東京、大阪、北海道各知事選の報告に。牛場東京ラウンド政府代表、河本政調会長が政府関係資材調達開放問題で打ち合せに
27日 10時、官邸にフランソワ・セイラック・フランス経営者全国評議会会長が表敬。14時、ジョージ・アレン英ロンドン大名誉教授が挨拶。15時、ハフェルカンプEC副委員長が表敬
28日 私邸に佐々木義武副幹事長が東京、大阪、岩手などの知事選報告に。午後、三木武夫元首相がブラジル大統領就任式の帰国報告
29日 8時、三井グループ幹部の万世会。官邸で三原総務長官が春の叙勲を説明。内閣記者会キャップと会食懇談。14時、参院大蔵委員会。三和銀行幹部と夕食懇談
30日 参院本会議。午後、園田外相らと首相訪米についての打ち合せ。夕刻、緒方彰NHK前解説委員長を励ます会。日本プレスセンター内の書店に寄る
31日 鈴木東京都知事候補の応援で、築地中央市場前、新橋駅日比谷口前、渋谷駅ハチ公前、高円寺駅南口で街頭演説
  22日 熊本地裁石田裁判長は水俣病で業務上過失致死罪に問われていたチッソの吉岡元社長と西田元水俣工場長に、それぞれ禁固2年、執行猶予3年の有罪判決を言い渡す
29日 牛場東京ラウンド政府代表とストラウス米大統領通商交渉特別代表との政府調達問題での交渉は、電電、国鉄など50億ドルを部分開放するとの日本側提案を米側が拒否して物別れとなる
30日 参院本会議で、地方税法改正案、租税特別措置法改正案が可決、成立
  26日 イスラエル・エジプト平和条約が、ホワイトハウス北庭で、ベギン・イスラエル、サダト・エジプト両大統領により調印され、カーター米大統領も“証人”として同条約に署名する。主な内容(1)両国間の戦争状態の終結(2)シナイ半島全体からのイスラエルの撤退を3年以内に完了(3)両国は10ヵ月以内に大使を交換し全関係を正常化
27日 OPEC閣僚協議会は、4月1日以降の石油価格を第1・四半期に比べて9.05%引きあげ、一バレルあたり14・542ドルと決定
28日 米ペンシルベニア州のスリーマイル島原子力発電所の加圧水型軽水炉の冷却ポンプが壊れて、放射性物質を含む蒸気が漏れる
 キャラハン英労働党内閣は下院での不信任案投票にわずか1票差で敗れる。マクドナルド労働党内閣が不信任案に敗れてから54年ぶり
31日 バグダッドで開催のアラブ外相、経済相会議は、全会一致でエジプトに対する政治、外交、経済面での24項目の全面的制裁を決議
69歳


次にご覧になりたいページをご指定してください
ホームページ 年譜のトップ 前の年代 次の年代