昭和54年(1979)   5月
1日 8時半、キャサリン・グレアム・ワシントンポスト会長主催朝食会。10時20分アーリントン墓地献花式。その後フリアル美術館、ケネディ・センター小劇場、YFU本部訪問。16時20分、ジョンソンMIT会長表敬。17時、随員らと打ち合せ
2日 10時、ホワイトハウスでカーター大統領夫妻らの歓迎式。続いて第1回日米首脳会談。12時半国務長官主催午餐会。14時半第2回首脳会談。「会談が、80年代に向けて実り豊かなパートナーシップの基盤を築くもの」との共同声明を発表。19時半ホワイトハウスでカーター大統領主催の晩餐会
3日 8時、ブレアハウスで首相主催による米国経済閣僚との朝食会。10時15分米議会下院でオニール議長、ザブロフキー外交委員長ら下院指導者と懇談。正午、ナショナルプレスクラブ主催の午餐会で英語で講演、日米協調を強調しジョークを入れた発言は好評。16時上院でバード院内総務、チャーチ外交委員長ら上院指導者と懇談。18時20分邦人記者会見。19時5分アジア太平洋系米国人文化週間レセプション。大使公邸で夕食会
4日 8時ブレアハウスでレストン記者など米側言論人と朝食会。10時15分ワシントンを出発、11時20分ニューヨーク・ケネディ空港着。12時15分リバークラブでデービッド・ロックフェラー・チェーズマンハッタン銀行会長主催の米財界人との昼食会。14時45分からアジアハウスでロックフェラー三世夫人と懇談。アジアハウス建設費贈呈式に出席。宿舎に入る途中、マンハッタン三番街の書店「ダブルディ」に立ち寄る。17時からメトロポリタン美術館訪問、ジャパントゥデイ行事に出席。邦人財界人と懇談。日系三団体主催レセプション。ニューヨーク如水会表敬。総領事公邸で夕食後、宿舎ウォスドルフ・アストリヤ・タワーズ・ホテルに入る
5日 9時ニューヨーク発。11時45分ロサンゼルス着。直ちに宿舎センチュリー・プラザ・ホテルに入る。午後ホジソン前駐日大使とLAカントリーでゴルフ。17時20分同行記者団と内政懇談。18時20分ブラツトレー・ロサンゼルス市長夫妻主催レセプション。19時15分総領事公邸で夕食
6日(日) 11時30分、ロサンゼルス発、日航特別機で帰国の途へ
7日 17時半、羽田着。そのまま私邸へ
8日 10時、皇居で勲一等受章者への親授式に立ち会う。ド・ラロジェール国際通貨基金専務理事が表敬。13時、衆院本会議。14時まえ再び皇居で勲二等受章者への伝達式に立ち会う。日本とフィリピン間の友好通商航海条約全権委員となる
9日 13時7分、羽田発、園田外相、加藤官房副長官らとマニラに出発。(現地時間)4時3分マニラ空港着。マルコス比大統領夫妻による歓迎行事の後、市内のホセ・リサール記念碑に献花。宿舎マカラニアン宮殿に入る。20時半マルコス大統領主催晩餐会
10日 10時、マルコス大統領と会談。日比友好通商航海条約の調印式に出席し園田外相とともに署名。16時半から第5回国連貿易開発会議で英語で演説、南北問題に取り組む日本の姿勢と人づくりの意義を強調。夜はマニラホテルで首相主催のレセプション
11日 9時から約2時間マカラニアン宮殿の迎賓館でフレーザー・オーストラリア首相と会談。アジア開銀を訪問。13時マニラ空港を出発、17時51分、羽田空港着。帰国の記帳のため皇居へ
   
2日 園田外相とシュレシンジャー米エネルギー長官とは新エネルギーの研究開発が目的の「日米科学技術協力基本協定」にワシントンで調印
9日 民社党の第24回定期大会で佐々木委員長は「自民党単独政権が行き詰まった時期に閣外協力の政策連合、さらに連合政権への参加もある」との考えを明らかにする
10日 松野代議士喚問を自民党が拒否して国会空転
   
4日 総選挙の結果、英保守党が過半数の339議席を獲得して、5年ぶりに政権を奪還。マーガレット・サッチャー党首が英国初の女性首相に就任
7日 国連貿易開発会議(UNCTAD)第5回総会は、南北問題をテーマにフィリピンのマニラで開幕。後発開発途上国への特別措置などを採択して6月3日閉幕
9日 バンス米国務長官は6年半にわたって交渉が続けられてきたSALTII協定に米ソ両国が基本的に合意と発表
69歳
  昭和54年(1979)   12日 私邸に田中官房長官、森山運輸相が要談に
13日(日) 加藤官房副長官、森第百土地社長、秘書官らとゴルフ
14日 正午すぎ党長老、役員ら30名を招いて外遊報告を兼ねた昼食会。16時、天皇陛下への外遊報告内奏のため皇居へ。十二日会
15日 午後、衆参両院正副議長、各党に訪米の報告。仏報道関係者のインタビュー。東京サミット準備会議の打ち合せ。火曜会
16日 西独報道関係者のインタビュー。衆院本会議。M・クレプス米商務長官と懇談。海外日系人大会レセプション、参加362人に「着々寸進洋々万里」の色紙をプレゼント。大平会
17日 朝、二木会。国際ビーヤコンベント協会のダール会長が表敬。午後、バンク・ルーマニア共産党政治執行委員が表敬。かや会
18日 オクチュン・トルコ外相が表敬。14時、赤坂御苑で春の園遊会。読売国際経済懇話会。八重洲口の書店に立ち寄る。三金会
19日 フィリューピン・ソ連外務次官らが表敬。13時半、衆院本会議で6月14日まで会期延長を決める
20日(日) 森第百土地社長、森田秘書官らとゴルフ
  12日 本州四国連絡橋の尾道─今治ルートのうち、愛媛県大三島─伯方島間にかかる大三島橋が完成、開通式
14日 初の日ソ事務レベル協議が外務省飯倉公館で、東島外務審議官とフィリューピン外務次官の間で開始
16日 スモン訴訟の和解を拒否してきた田辺製薬は、キノホルムとスモンの因果関係を認める「可部和解の三条件」を全面的に認め、437人の和解に調印
18日 与野党国対委員長会議で、松野氏を喚問することで合意し、国会正常化
  12日 イスラム諸国会議第10回外相会議は、エルサレムをパレスチナの首都としイスラエル占領下のエルサレム解放を目指す決議を採択閉会
13日 クリアンサック首相は総選挙後民政移管されたタイの新首相に就任
15日 第二次世界大戦後米国の信託統治下にあったカロリン諸島のポナペ、ヤップ、トラック、コスラエの4地域が「ミクロネシア連邦」を結成し、初代大統領には日系人のトシオ・ナカヤマ氏が就任
69歳
  昭和54年(1979)   21日 総合政策研究会の朝食会。11時、廖承志中日友好の船訪日団長ら7氏が表敬。官邸中庭で53年度に芸術文化で活躍した人たちと懇親の集い。故ジョン・D・ロックフェラー三世の未亡人が表敬
22日 閣議で航空機疑惑問題等防止対策に関する協議会の設置を決定。宇佐美毅元宮内庁長官、兼重寛九郎元日本学術会議会長ら8人による栄典に関する有識者会議。13時半から衆院本会議で訪米等の報告についての質疑。大栄会
23日 9時20分、第8回日韓議員連盟総会。10時、参院本会議で訪米等の報告と質疑。14時半、郷里から上京の姉妹(山田ムマさんと加地富江さん)が官邸を訪れ面会。チャールズ・ヤングUCLA総長が表敬。春芳会
24日 私邸でBBC放送の録画。官邸でタイディングス元米上院議員が表敬。午後、全国中小企業団体中央総会。多元化社会の生活関心研究グループ第3回会合
25日 スイスのジョルジュ・アンドレ・シュバラ蔵相、ドウンケル通商担当大使が表敬。13時から衆院本会議。14時10分、経団連第40回定時総会で挨拶。大雄会
26日 9時すぎ、愛知県下の植樹祭にご出席の天皇陛下を東京駅にお見送り。10時50分、千鳥ケ淵戦没者墓苑拝礼式。18時半、マンスフィールド駐日米大使夫妻らを自宅に招く
27日(日) 大箱根カントリークラブで雨の中を佐々木社長らとゴルフ
28日 10時、園田外相が欧州訪問から帰国報告。ダビニヨンEC産業政策担当委員が表敬。BBC放送のテレビインタビュー。家庭基盤充実研究グループ第3回会合。18時すぎ毎日新聞幹部と懇談
29日 10時官邸でNHK「総理にきく」で本間長世東大教授、山室解説委員と対談の録画。プラウダ編集長らソ連ジャーナリスト同盟代表団が表敬。13時衆院本会議。14時すぎ首相番記者と懇談
30日 10時、参院本会議。13時、参院科学技術振興対策特別委員会、参院決算委員会。イタリアの国営放送のインタビュー。科学技術の史的展開研究グループ(議長佐々学東大名誉教授)初会合に出席。塩元売組合など4団体の定期総会パーティ
31日 衆院本会議。16時半、第1回航空機疑惑問題等防止対策協議会
  21日 沖縄開発庁による尖閣列島開発利用基礎調査のために、中国との間で領有権が問題となっている尖閣列島の魚釣島で5メートル四方の仮ヘリポート造りが始まる
24日 衆院航空機輸入調査特別委員会は松野氏を証人として喚問したが、同氏は5億円を政治献金として受けとったと主張
29日 沈平中国外務省アジア局長は、沖縄開発庁の尖閣列島調査について「中日両国間の了解に違反していること明白」と遺憾の意を伴臨時代理大使に表明
30日 札幌地裁の磯部裁判長は、新聞記者の取材源の「証言拒絶当否の裁判」で、証言拒否の正当性を認める決定を言い渡す。
 日本航空は米連邦航空局の勧告にもとづきDC10の9機全便の運航を停止して緊急点検を行う
  22日 国際エネルギー機関第3回閣僚理事会は、80年代も石油節約を進める必要があるとの共同コミュニケ、重油のみによる火力発電所の新設を禁止する「石炭利用拡大に関する行動原則」、79年10月を「国際エネルギー節約月間」とするなどを採択
 カナダの総選挙の結果、進歩保守党が第一党となり、トルドー首相の自由党は第二党に転落
25日 ネパールで反体制暴動が激化して、ビスタ首相が辞表を提出
 アメリカン航空のDC10ジェット旅客機が、シカゴ市オヘア国際空港を離陸した直後にボルトが折れエンジンが脱落して、272人全員が死亡
28日 ギリシャのEC正式加盟の調印式がアテネで行われ10番目の加盟国となる
29日 米連邦航空局は、エンジン部分に新たな欠陥が発見されたため、DC10旅客機の同型機会機の飛行中止を内外の航空会社に命令、勧告
69歳


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