昭和54年(1979)   6月
1日 参院本会議。衆院外務委員会。西独紙のインタビュー
2日 17時、ストラウス通商交渉特別代表ら米国訪中団が表敬。ストラウス代表、マンスフィールド大使らが残り会談
3日(日) 7時14分、羽田空港から米子へ。鳥取政経文化パーティ。13時松江市で記者会見。14時島根政経文化パーティ。18時半羽田着
4日 10時すぎ第35回日本芸術院授賞式で祝辞。16時衆院決算委員会。18時サントリー創業80周年パーティ。20時秩父宮邸で英国、米国ご訪問の秩父宮妃殿下をお見送り
5日 参院外務委員会。一年生代議士の「革政会」と昼食。13時衆院本会議。14時全国銀行大会で講演。15時参院内閣委員会。17時半天谷資源エネルギー庁長官らがエネルギー5%節約案報告。19時東京サミット参加国駐日大使夫妻を招いて非公式晩餐会
6日 8時、園田外相、金子蔵相、江崎通産相らと東京サミットの勉強会。中庭で省エネ・ルックの撮影。党正副政調会長7人と昼食。午後、英国報道関係者のインタビュー。18時、田園都市構想研究グループの会合に出席
7日 スハルト・インドネシア大統領と会談。10時半から随員も含め全体会議。午後東京サミット勉強会。18時党都道府県議会議員中央研修会懇親会。吉兆会。19時30分スハルト大統領歓迎晩餐会
8日 9時からスハルト大統領らと第2回会談。宮中でスハルト大統領歓迎午餐会。15時、共同通信加盟社編集局長会議で「1980年代の日本」と題して講演。大平会
9日 終日、私邸で静養
   
1日 経済企画庁は53年度の実質国民総生産は5.5%にとどまり、当初見通しの7%、修正実績見込みの6%を一下回ると発表
2日 牛場・ストラウス会談で、電電公杜の資材の政府調達は質量とも相互主義の原則にのっとり、7月に調達範囲の細目を詰める交渉を再開することで意見が一致
6日 元号法案が参院本会議で、自民、公明、民杜、新自クの賛成で可決、成立(公布施行は12日から)
 自民党が松野氏の偽証告発、岸氏の証人喚問を正式に拒否、野党側が不満として国会審議がストップ
 米連邦航空局の措置をうけて運輸省も日本航空のDC10機の運航の全面的停止を指示
   
1日 ジンバブエ・ローデシア共和国が誕生。初代大統領にジョシア・グメディ氏、首相にムゾレワ統一アフリカ民族評議会議長が就任
2日 ポーランド出身のローマ法皇ヨハネ・パウロ2世が10日までポーランドを訪問
4日 カナダのジョー・クラーク進歩保守党党首が首相に就任。カナダ政治史上最年少(39歳)の首相
6日 米連邦航空局はDC10機に対して3度目の飛行停止命令を出す
69歳
  昭和54年(1979)   10日(日) 森第百土地社長、佐々木丸茶社長らとゴルフ
11日 9時40分、第69回学士院賞授賞式で挨拶。13時30分、東京サミット準備会議の打ち合せ。カナダ報道関係者のインタビュー。18時30分、報道各社政治部長と懇談
12日 党本部で全国都道府県民運動本部長会議。西村副総裁、党三役らと会合。十二日会
13日 朝、政策懇談会。米国のフォーリン・アフェアーズ誌のウィリアム・バンディー編集長が表敬。14時半すぎからサミット会場となる迎賓館を視察。カーター米大統領訪日の打ち合せ
14日朝、二木会。第49回全国市長会議。23時自民党代議士会。衆院本会議。終了後、衆参両院正副議長、各党挨拶回り
15日 政策懇談会で学者・文化人と国際的な人づくりを論議。衆参両院議員を招いて首相主催レセプション。第20回藤原賞授賞式。15時から内閣記者会で内政外交全般の所信を語る。総合エネルギー対策推進閣僚会議で一層の消費節減対策を決定。山本警察庁長官が東京サミットの最終警備態勢の報告。三金会
16日 9時半、私邸で田中官房長官がE2C解除問題を報告
17日(日) 久邇カントリークラブで岡内英夫資生堂相談役、森田秘書官らとゴルフ
18日ボーゲル米ハーバード大教授が自著『ジャパン・アズ・ナンバーワン』などについて懇談。奥田元宋前日展理事長がサミット用に喫煙室の絵画を交換。福田前首相と昼食会談。英国のテレビニュース通信社がインタビュー。報道各社論説委員と懇談。末広会。安岡正篤氏と懇談
19日 三木元首相と昼食会談。社会経済国民会議総会で挨拶。芳明会
20日 午後、サミット勉強会。園田外相、田中官房長官、金子蔵相、江崎通産相、小坂経企庁長官らが出席。製紙グループの会
21日 午前中、自室にこもってサミットの勉強。正午、春芳会。13時半から党本部で選挙対策委員会。15時から日本記者クラブで内外記者団と会見。16時すぎから関係者とカーター米大統領訪日の打ち合せ。かや会
  13日 安全点検中の福井県の関西電力大飯原発一号機の運転が再開
14日 第87国会終了。内閣提出法案68件中42件成立、条約16件中3件承認。たばこ値上法案、薬事二法案など重要法案が多く流れる
  10日 欧州議会直接選挙が西独、仏、伊、白、ルクセンブルクの5カ国で行われ、7日に行われた英、丁、蘭、アイルランド4カ国と同時に開票。社会主義グループが後退、保守が進出、少数派が抬頭
18日 カーター米大統領とブレジネフ・ソ連共産党書記長は、ウイーンでの米ソ首脳会談を終えて、SALTIIなど4つの文書に正式調印、共同コミュニケを発表
19日 南アフリカの大統領にマレー・フィリューン上院議長が就任
69歳
  昭和54年(1979)   22日 昼食をはさんで東京サミットをめぐり野党党首と会談。衆参両院議長を公邸に訪ねサミット開催の挨拶。15時から労働サミットの代表と会見。外務省顧問の武内、島、黄田、朝海、下田の各氏と懇談
23日 箱根カントリー倶楽部で植谷久三山一証券社長らとゴルフ
24日(日) 10時すぎ私邸で記者団と懇談。13時半、柳谷外務省アジア局長らがベトナム難民対策を報告。宮崎外務審議官、濃野通産次官らが日米首脳会談と東京サミットのエネルギー問題対応策を説明
25日 私邸で記者団と懇談。9時半すぎから夫人とカーター米大統領歓迎式典に。11時から官邸でカーター大統領と第1回日米首脳会談。13時、首相夫妻主催の大統領歓迎昼食会。19時すぎ宮中晩餐会
26日朝、私邸で記者団と懇談。迎賓館からヘリコプターで大磯町の旧吉田邸へ。10時すぎから11時半まで第2回日米首脳会談。終了後、カーター大統領と庭園を散策、昼食。13時半ヘリで迎賓館へ。14時、党本部で次期参院選全国区公認候補に公認証書を渡す
27日 私邸で記者団と懇談。官邸で10時クラーク・カナダ首相、11時ジェンキンズEC委員長と会談。午後、細田衆院議運委員長がE2C予算凍結解除問題の経過報告。15時すぎシュミット西独首相と会談。16時迎賓館でジスカールデスタン仏大統領を出迎え会談。17時すぎ帰宅。23時半すぎ宮崎外務審議官が打ち合せに
28日 私邸で記者団と懇談。8時すぎ東京サミット出席の各国首脳と朝食会。9時15分から迎賓館正面玄関で各国首脳を出迎え。9時45分、本会議場「羽衣の間」で第1回先進国首脳会議。正午すぎ各国首脳と迎賓館の庭を散策。13時すぎ首相主催の昼食会、議論が16時10分まで続く。第2回首脳会議。18時まえ合同記者会見。19時から皇居で晩餐会
29日 私邸で田中官房長官、秘書官とサミットの情勢分析。8時すぎ迎賓館へ。9時50分から第3国首脳会議。仏から85年の国別石油輸入目標の提案がなされ、米国らが同調し難航。13時、迎賓館内の和風別館「游心亭」で首相主催の昼食会。14時54分から16時15分まで第4回首脳会議。国別石油輸入目標で合意が成立。17時半すぎ7カ国首脳の合同記者会見。19時羽田空港へ。空港に待機してカーター米大統領、アンドレオッチ伊首相、サッチャー英首相、シュミット西独首相の帰国を順次見送り
30日 9時半羽田空港でジスカールデスタン仏大統領を見送る。通訳の沼田貞昭書記官、山崎隆一郎事務官らと昼食。午後クラーク・カナダ首相見送りのため再び羽田空港へ。「最後の仕上げだ」と語る。13時半、山本警察庁長官、国島警視総監がサミット警備終了の挨拶。14時、内閣記者会と会見。日本テレビ「総理と語る」で永野重雄、森英恵氏を相手にサミットのレポート
  22日 東京サミット参加7カ国の労組代表による東京労組指導者会議(労働サミット)が東京で開かれる。経済政策決定への労組の参加、完全雇用のための雇用創出策の展開、週休二日制の実施、先進国と産油国の対話促進などを求めた提言を採択
23日 政府はベトナム難民対策連絡会議で、現行500人の定住枠を漸次拡大する基本方針を決定し、定住許可条件の緩和も決定
24日 カーター米大統領来日
27日 カーター米大統領は静岡県下田市で、タウン・ミーティングに出席
  22日 EC首脳会議は加盟国の石油輸入量を80〜85年の6年間、78年の輸入実績(4億7000万トン)以下に抑える、との最終合意文書を発表
28日 OPEC総会は7月1日から基準原油価格を現行の一バレル14.54ドルからサウジアラビア・アラブ首長国連邦・カタールの3国が18ドルに、他の諸国が20ドルに引き上げるという“二重価格制”をとり、上積みは認めるが上限は23.5ドルとすると決定
 モスクワの経済相互援助会議第33回総会で、コスイギン・ソ連首相はコメコン諸国向けのエネルギー、燃料の供給量を次の5カ年計画(81〜85年)の間に20%増加する計画であると表明
30日 第12回ASEAN外相会議は、ベトナムに対してカンボジアからの軍隊撤退と難民問題解決への決定的役割を求めた共同声明を採択
69歳


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