昭和54年(1979)   7月
1日(日) 長女の森田芳子、佐々木丸茶社長らとゴルフ
2日 私邸で終日、読書
3日 官邸で経済閣僚と経済運営について協議。物価安定政策会議。18時すぎ宮崎外務審議官らサミット関係者を慰労
4日 11時安全功労者表彰式。午後、江崎通産相が中東訪問の打ち合せ
5日 弁理士制度50周年記念式典。午後、青少年問題審議会総会。多元化社会の生活関心研究グループの会合に出席
6日 朝、日本商工会議所関係者と懇談会。ライシャワー元駐日米大使が訪問。報道関係7社の論説、解説委員長と昼食懇談
7日 8時40分羽田発、10時15分高松着。10時半、高松市内で記者会見。その席上での「体制を刷新してことに当れという声も理解できる」との発言で、解散ムード高まる。地元政財界2000人の歓迎祝賀会で挨拶。午後大内町の三本松高校で講演。16時半、郷里の豊浜町で墓参し「(首相就任の)報告ができてほっとした」と語る。生家に立ち寄り、豊浜八幡宮に参拝。17時すぎ豊浜小学校で講演。18時すぎ観音寺市の大平事務所で随行記者団と懇談。20時すぎ観音寺市の市民会館、高瀬町の上戸学園でそれぞれ講演。22時半すぎ大平事務所に帰る
8日(日) 8時半、大平事務所を出て善通寺市の中央小学校、丸亀市の東中学校、坂出市の川崎重工体育館で、それぞれ講演。高松市内での自由国民会議結成大会に出席のあと、高松市民会館で講演。15時まえ高松空港発、16時37分羽田空港着
9日 ライシャワー・ハーバード大教授の歓迎レセプション。大平会
   
2日 園田外相は、ASEANと日、米、オーストラリア、ニュージーランド、EC代表を加えた拡大外相会議で、国連難民高等弁務官事務所への全拠出金の二分の一(今年度は5000万ドル)を負担し、インドネシアのガラン島の難民一時収容センター資金も半分の650万ドルを負担すると表明
   
1日 カーター米大統領は韓国を訪問、朴正煕大統領と会談して、朝鮮半島の緊張緩和のため南北両朝鮮と米国による政府高官の三者会談を開くことを提案、米韓両外相が北朝鮮外相と接触をはかることを指示した共同声明を発表
3日 西独連邦議会で、ナチス殺人のほか一般殺人を含めた全殺人犯罪に対する時効を廃止する刑法改正案が成立
69歳
  昭和54年(1979)   10日 ライシャワー教授と昼食。13時半、藤山愛一郎日本国際貿易促進協会会長が訪中報告。経団連の正副会長らとエネルギー問題で懇談。故植村甲午郎経団連会長の追悼会。内外問題研究会で講演、財政再建につき一般消費税など増税を求めたとの報道が出る
11日 女優の檀ふみ氏と政府広報用の対談。午後、第17次地方制度調査会第13回総会。党改革推進本部の根本竜太郎第一、福田一第二両委員長が作業状況の報告。今年喜寿の政財界人、学者、芸能人などの集まり「発卯会」に出席
12日 朝、二木会。正午すぎ日本証券経済倶楽部の会合で講演。山下防衛庁長官がE2C予算凍結解除の報告に。十二日会
13日 森山運輸相が東名高速道路日本坂トンネル事故などについて報告。11時半、羽田空港発、鹿児島へ。14時すぎ鹿児島市内で記者会見。政経文化パーティ。18時50分、羽田空港着
14日 静養のため11時すぎ私邸を出て、箱根へ
15日(日) ゴルフと静養。記者団に生産者米価について聞かれ「みんな苦心してやったんだから尊重しなきゃ」と答える
16日 ゴルフのあと日程を1日早めて16時すぎ私邸に戻る
17日 四国新聞創刊90周年記念昼食会で地方の時代における地方メディアの重要性を力説して激励。神保町の書店街を散策
18日 官邸で岩男寿美子慶大教授と政府広報用の対談。13時、故朝永振一郎氏の葬儀に参列。15時、皇居で東京サミットなどについて内奏。18時すぎ日生劇場で劇団「四季」による「ジーザス・クライスト・スーパースター」を観劇
19日 午前、地方行政連絡会議知事代表と懇談会。午後、国際児童年協賛宇宙科学博覧会を視察。関西吉兆会。続いて、かや会
  11日 静岡県の東名高速道路日本坂トンネル内の下り線で大型トラックと乗用車など6台が衝突事故を起こし7人が死亡したほか、トンネル内の約160台の車が炎上
12日 灘尾衆院議長と安井参院議長は、早期警戒機E2C関連予算(54年度16億7300万円、55年度以降363億8000万円)の凍結解除を正式決定
14日 54年度産米の生産者米価は、2年連続据置、品質格差導入が決定、387億円が政治加算となる
16日 西岡武夫新自ク幹事長は、河野洋平代表の路線は保守刷新を掲げた立党の精神を失っているとして離党
17日 防衛庁はバッジ・システム更新、北海道の機甲師団新設で総額2兆8000億円の「中期業務見積り」を決定
18日 政府にインドシナ難民対策連絡調整会議が発足
  10日 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)外務省は、米韓共同声明が提案した三者会談を不適当とする声明を発表
14日 ロンドンで9日から開かれていた第31回国際捕鯨委員会が閉会。インド洋を10年間捕鯨禁漁区とする、ミンククジラを除く母船捕鯨禁止の2案が採択され、日本など捕鯨国の捕獲枠数が決定
15日 カーター米大統領が包括的エネルギー対策を発表。その内容は(1)1990年までに外国産原油の輸入量を半減し1日あたり450万バレルを削減する(2)エネルギー公社を設置し90年までに日産50万バレル相当の代替エネルギーを創出する(3)ソーラーバンクを設立し今世紀末までにエネルギー需要の20%をまかなう
19日 マリア・デ・ルルデス・ピンタシルゴ女史が、ポルトガル初の女性首相に就任
69歳
  昭和54年(1979)   20日 国防会議議員懇談会、関係閣僚と防衛白書の説明をきく。福田、三木、前元首相と昼食会談。午後、航空機疑惑問題等防止対策協議会。三金会
21日 11時森山運輸相が国鉄再建問題で。公邸で加藤藤太郎氏らと会食
22日(日) 箱根カントリーで秘書官、森田芳子らとゴルフ
23日 午後、私邸に辻行政管理庁次官がサマーレビュー(予算編成の夏季事前点検)の中間報告に
24日 正午、東京駅発で静岡市へ。14時すぎ静岡市内で記者会見。政経文化パーティ。18時23分東京着
25日 証券大平会朝食会。名古屋放送「総理と百人のこどもたち」の録画撮り。春芳会。都道府県会館での全国都道府県議会議長全総会で挨拶。党本部の党改革推進本部合同会議。名友会
26日 NHKテレビ「こちら情報部」の録画撮り。ムサ・ヒタム・マレーシア教育相が表敬。内閣記者会キャップと昼食懇談。対外経済協力審議会に出席。古河グループ社長らと懇談
27日 中国「人民日報」の泰川副総編集らが表敬。宮中午餐。午後、航空機疑惑問題等防止対策協議会。18時すぎ私邸で小坂経企庁長官が新経済社会7カ年計画の打ち合せ
28日 11時青年会議所主催青年経済人会議で講演。虎の門の書店に寄る
29日(日) 武蔵カントリークラブで島村道康日本ゼオン会長らとゴルフ
30日 10時まえ白金台の国立科学博物館附属自然教育園でNHK「総理にきく」で曾野綾子氏、家城啓一郎氏と対談の録画撮り。記者団と昼食懇談
31日 10時24分、新幹線で名古屋へ。長久手町の愛知青少年公園で記者会見。同公園の国際児童年集中記念行事会場で「世界と日本のこども展」開会式。皇太子、同妃両殿下をお出迎え。会場を視察。両殿下をお見送りのあと16時40分すぎ出発、新幹線で帰京
  25日 山下防衛庁長官は歴代長官のなかで初めて韓国を訪問し韓国国防相と会談。極東ソ連軍の最近の増強に重大な関心をもつとの認識で一致
 松野頼三代議士、議員を辞職
26日 文部省は高校進学率が94.0%となったという学校基本調査「中学卒業後の状況調査」を発表
31日 金子蔵相は、きびしい財政事情を理由に今年度予算の9.8%増以内とする55年度予算の概算要求の方針を閣議に報告
  20日 ニカラグアのサンディニスタ民族解放戦線は、首都ヌグアナで国家再建政府の樹立を宣言
21日 50カ国が参加したジュネーブ国連難民会議は、ワルトハイム国連事務総長が各国の発言を要約した総括報告を行って閉会。ベトナム政府が適当な期間難民の非合法な出国を停止させるよう努力を約束したこと、参加国の難民定住引受け数は合計26万人、難民援助計画への拠出資金が1億9000万ドルと判明
69歳


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