昭和54年(1979)   8月
1日 10時ごろ私邸に田中官房長官。午後は読書などで静養
2日 メキシコ・ベラクルス大学の民族舞踊団が表敬。午後、河本政調会長が党の新政策を説明、「増税問題は年末の予算編成の際に判断する」ことで一致
3日 福田一党改革推進本部第二委員長が総裁公選規程問題で中間報告。午後、経済審議会が新経済社会7カ年計画を答申
4日 8時半、羽田空港から福岡へ。福岡市内で記者会見。11時、党政経文化パーティ。新幹線で山口へ。山口県庁で記者会見。15時半、党政経文化パーティ。福岡空港発、20時半すぎ羽田着
5日(日) 茅ヶ崎のスリーハンドレッド・クラブで佐々木社長、秘書官らとゴルフ
6日 ミクロネシア連邦ポナペ島の児童使節が表敬。16時まえ官邸を出て東京府中の多磨霊園内の長男・正樹の墓参に
7日 9時、総合エネルギー対策推進閣僚会議。防衛庁幹部と昼食懇談。翁官房副長官が前国会での積み残し法案などの説明。足立篤郎代議士らが一般消費税導入反対を申し入れに。大雄会
8日 9時、自衛隊市ケ谷駐屯地をヘリコプターで発ち茨城県の筑波研究学園都市へ。9時半すぎから国立公害研究所、宇宙開発事業団筑波宇宙センター、筑波大学キャンパスを視察。ヘリで東海村日本原子力研究所東海研究所へ。13時から動燃東海事業所、動燃大洗工学センター、高速増殖実験炉「常陽」などを視察。15時半、記者会見。17時まえヘリで市ケ谷駐屯地へ
9日 朝、二木会。10時、科学技術会議。午後、自由国民会議会報のため向坂正男総合研究開発機構理事長と対談。ドゥマス・アルゼンチン経済省次官ら表敬。青藍会
   
3日 経済審議会総会は、54〜60年度の経済運営の指針となる新経済社会7カ年計画の最終案を決め、大平首相に答申。内容は(1)年平均実質成長率を5.7%程度とする(2)60年度の失業率を1.7%程度に下げる(3)消費者物価上昇率を5%程度にとどめる(4)一般消費税の実現で赤字公債を発行しだいで財政を再建する
7日 雇用審議会は54〜60年度を対象とした第4次雇用対策基本計画案を栗原労相に答申。高齢化社会と産業構造転換に備えた雇用対策の展開を求め、週給二日制など労働時間の短縮、60歳定年制の一般化などを具体的目標とする
 政府は東海大地震に備えて静岡県など6県の170市町村を「地震防災対策強化地域」として指定、公示
   
2日 ベトナム沖で救助され法務省の入国許可を待っていたベトナム難民109人は、茨城県鹿島港に上陸し、4日、沖縄の日赤難民救済センターに向かう
3日 イランで革命後初の制憲議会選挙が行われ、国民民主戦線や労農党などがボイコットしたが、ホメイニ派中心のイスラム教主流派が圧勝
4日 イタリアにキリスト教民主党のフランチェスコ・コシが首相の中道右派連立内閣が誕生して政治危機を打開
5日 ザンビアの首都ルサカで41カ国の大統領、首相、外相らが出席して1日から開かれていた英連邦首脳会議は、(1)英国の責任で黒人多数支配を基礎とする独立の実現(2)少数の白人保護を含む民主的憲法の採択(3)英政府の呼びかけで全当事者による制憲会議の開催などを骨子とするジンバブエ・ローデシア問題に関する解決案を承認
69歳
  昭和54年(1979)   10日 閣議で経済社会7カ年計画を決定、その中で「一般消費税を昭和55年度中に実現するよう準備する」と謳われる。藤井貞夫人事院総裁が国家公務員の給与引き上げを勧告に。午後、静養に箱根へ
11日 箱根カントリークラブで三男明夫妻らとゴルフ。プールサイドで子供を相手にしているところを写真撮影。16時、記者団と懇談
12日(日) 大箱根カントリークラブで大蔵省OBとゴルフのコンペ
13日 虎の門病院で人間ドックの定期検診
14日 引き続き終日、各種検査
15日 健康診断を終えて官邸へ。李東元韓国国会外務委員長ら表敬。日本武道館の全国戦没者追悼式。午後、和達清夫海洋開発審議会長が海洋開発の基本構想について答申
16日 内外政策研究会の朝食会に。10持すぎ羽田空港発、札幌へ。午後、札幌市内のホテルで記者会見。昼食後、党政経文化パーティに。夕方、羽田空港着。かや会
17日 金井行管庁長官が行政改革で、金子科学技術庁長官が原子力船「むつ」問題で報告。13時32分上野発、軽井沢へ。静養に
18日 大浅間ゴルフクラブでの末広会のコンペに参加
  10日 小坂経企庁長官は昭和54年度経済白書を閣議に提出して了承をえる。内容は石油ショックから脱却し、国際収支の黒字間題も解消したと日本経済を評価し、今後の景気の見通しも明るいと判断。
 原子力委員会は1年間ももめたカナダ型原子炉の導入に最終的な拒否の結論
13日 江崎通産、園田外務両相はロペス・メキシコ大統領と会談し、80年からメキシコ原油を1日当り10万バレル日本に輸入することで合意
16日 国土庁は三全総の柱である定住圏構想実現のために地元主導で地域整備を行うモデル定住圏28を選定
  10日 カーター米大統領は.パレスチナ解放機構(PLO)がイスラエルの生存権を認めない限り、PLOと直接に接触するつもりはないと明言
69歳
  昭和54年(1979)   19日(日) 午後、町内のホテルで皇太子殿下御夫妻にお会いする
20日 藤崎章住友金属鉱山社長らと軽井沢72ゴルフでゴルフ。静養
21日 午後、列車で東京へ。19時まえ私邸着
22日 吉井法相が航空機疑惑問題等防止対策協議会の打ち合せ。欧州青年日本研修団が表敬。午後、日米学生会議代表が表敬。16時すぎから富士箱根ランドでの党夏季研修会で講演。21時半すぎ帰宅
23日 牛場信彦外務省顧問が日米賢人会議の準備状況を報告。午後、報道各社論説委員と懇談。江崎通産相がエネルギー情勢の説明。外務省幹部と夕食懇談
24日 物価問題関係閣僚会議で六大都市のタクシー料金の改訂を了承。民放の「こども記者会見」を収録。午後、サンケイホールで省エネルギー運動推進緊急全国集会。加藤、翁両官房副長官、秘書官らと所信表明演説の検討会
25日 8時、羽田発大阪へ。地元財界代表と政策懇談会。記者会見。党政経文化パーティ。13時半、京都で政策懇談会のあと党政経文化パーティ。18時32分東京着
26日(日) 15時45分、富士箱根ランドでの党夏季全国研修会で基調講演
27日 宿泊先で記者団と朝食会。午後箱根発、帰宅
28日 10時羽田発新潟へ。11時すぎ市内で記者会見。午後、党政経文化・パーティ。15時、長岡市で党政経文化・パーティ。18時21分羽田着
29日 TBS「総理は語る」で古谷綱正、浅野輔氏と対談の録画撮り。田中官房長官、加藤、翁両副長官、秘書官らと所信表明演説の検討。西村副総裁と昼食。日タイ貿易合同委員会で来日中のオプ・ワスラット商務相が表敬。中国京劇院代表が表敬
30日 8時第1回雇用問題政策会議で挨拶。中曾根元幹事長と昼食会談
31日 園田外相が中南米から帰国の報告。「ミスさっぽろ」らがトウモロコシを贈る。三木元首相と昼食。16時から所信表明演説検討の臨時閣議。夜、斎藤幹事長が総選挙の公認候補問題で打ち合せ
  19日 外務省は戦後占領期の貿易・為替・税制・食糧など経済関係の外交文書を発表
30日 第88臨時国会召集
31日 インドシナ難民の定住促進センターが、アジア福祉教育財団の事業として、関東と関西に1カ所ずつ建設されることが決定
  26日 米第七艦隊と沖縄在留海兵隊の4万人を動員した合同軍事演習「フォートレス・ゲール」の敵前上陸作戦が沖縄県の中部で実施
31日 米国務省はキューバに3000人のソ連戦闘部隊が駐留しているのでソ連に撤退を要求した、と発表
69歳


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