昭和27年(1952) | 前年末から春、夏にかけて20年ぶりに選挙運動のために香川へしばしば帰る 9月5日 大蔵省を依願退官する 10月1日 自由党公認候補として衆議院議員に初当選(第25回総選挙)得票数4万3093票で第2位 11月 農林常任委員となる | 2月8日 改進党結成 4月28日 GHQ廃止 5月1日 皇居前メーデー事件 7月4日 破壊活動防止法 10月1日 第25回総選挙。 10月30日 第四次吉田内閣成立 | 7月23日 エジプトにクーデター 11月1日 米、水爆実験 | ||||
42歳 | |||||||
昭和28年(1953) | 4月11日 橋本竜伍、応援演説のため香川二区にくる 4月12日 吉田茂首相、応援演説のため観音寺市、豊中町上高野小学校などにきて、「オオダイラ君」と呼んで候補者を苦笑させる 4月19日 衆議院議員に再選(第26回総選挙)。得票数3万9464票で辛うじて第3位 4月 大蔵常任委員、自由党幹事、自由党青年部副部長に就任 10月20日 『財政つれづれ草』(B6判。220頁・250円)を如水書房から刊行 この頃 練馬区仲町に“西讃学寮”をつくり、郷里から上京する学生に開放(昭和35年、老朽化のため廃止) | 3月14日 バカヤロー解散 3月18日 鳩山自由党が結成され、自由党分裂 4月19日 第26回総選挙 5月21日 第五次吉田内閣 10月2日 池田・ロバートソン会談 11月29日 三木武吉ら日本自由党を結成。鳩山ら23人自由党に復党 | 7月27日 朝鮮休戦協定調印(板門店) | ||||
43歳 | |||||||
昭和29年(1954) | 4月頃 造船疑獄で司直の手が及んだのを聞き、池田勇人政調会長の無実を信じながらも信濃町に駆けつけ、「もう政治家をやめて下さい。私もやめます」と涙ながらにかきくどく 8月 「人物鑑賞三、欠点の美」と題して、池田勇人論を執筆する | 3月8日 MSA協定調印 4月21日 造船疑獄で犬養法相指揮権を発動 11月24日 日本民主党結成 12月10日 鳩山一郎内閣成立 | 4月29日 中国・インド、インド・チベット間平和五原則を提唱 7月21日 ベトナム和平に関するジュネーブ協定調印 9月6日 東南アジア防衛機構(SEATO)創設 | ||||
44歳 | |||||||
昭和30年(1955) | 2月27日 衆議院議員に当選三回(第27回総選挙)4万8851票で第3位 3月 内閣常任委員(理事)大蔵常任委員、経済計画特別委員会委員に就任 3月28日 自由党政務調査会財政金融副部長、自由党国会対策委員となる。引揚者の在外財産補償問題と軍人恩給増額問題に取り組む 6月23日 自由党を代表して衆院本会議で「所得税法を改正する案件外二件」に対する賛成演説を行う 11月15日 保守合同の結果、自由民主党員となる 12月3日 自由民主党政務調査会内閣部長となる | 1月24日 衆議院解散 2月27日 第27回総選挙 3月19日 第二次鳩山内閣入条件議定書調印 10月13日 社会党統一大会 11月15日 自由、日本民主両党の保守合同で、自由民主党結成 11月22日 第三次鳩山内閣 | 2月24日 バグダッド条約 4月18日 アジア・アフリカ会議(バンドン会議) 5月14日 ワルシャワ条約 6月7日 ガットへの日本加入 7月18日 英米仏ソ、四国巨頭会談 | ||||
45歳 | |||||||
昭和31年(1956) | 1月5日 『素顔の代議士』(新書判・234頁・非売品)を20世紀社から刊行 5月15日 同僚議員11名の筆頭者として「旧軍人等の遺族に対する恩給等の特例に関する法律案」を提出し、“公務死”の範囲の拡大をはかる 5月18日 総理府の在外財産問題審議会委員となる。(引揚者給金等支給法施行により32年4月1日付で審議会委員は廃職となる) 12月20日 同法案が衆参両院で可決公布され、公務扶助料、遺族年金を3万6000人が受給可能になる | 10月19日 日ソ国交回復に関する共同宣言 12月18日 日本の国連加盟決まる 12月23日 石橋湛山内閣成立 | 2月24日 スターリン批判 5月2日 中国で百花斉放、百家争鳴 6月28日 ポーランドで暴動 7月26日 エジプト政府、スエズ運河国有化を宣言 10月23日 ハンガリー事件 10月29日 スエズ戦争 | ||||
46歳 | |||||||
昭和32年(1957) | 6月11日 総理府の臨時恩給等調査会委員となる。軍人恩給引上要望書をまとめる 8月7日 自由民主党政務調査会財政部長となる 11月6日 自由民主党総務(中国・四国)となる | 2月25日 岸信介内閣成立 6月19日 岸・アイゼンハワー会談、日米新時代を強調 この年下期より、なべ底不況 | 3月25日 EEC調印 10月4日 ソ連、人工衛星打上げに成功 | ||||
47歳 | |||||||
昭和33年(1958) | 5月22日 衆議院議員に当選四回(第28回総選挙)得票数5万6817票で第1位 6月22日 自由民主党政務調査会副会長となる 7月29日 自由民主党臨時税制調査会専門委員となる 10月14日 自由民主党林業対策小委員会副委員長となる 12月24日 自由民主党たばこ事業対策専門委員会委員長となる | 4月25日 衆議院解散 5月22日 第28回総選挙 6月12日 第二次岸内閣成立 12月31日 池田、三木、灘尾の三閣僚辞任 この年 宏池会(池田派)結成 | 8月29日 中国、人民公社建設運動を全国化 9月28日 仏、第五共和制発足 | ||||
48歳 | |||||||
昭和34年(1959) | 6月30日 衆議院文教委員会委員長になる この頃 長欠児童生徒援護会(黄十字会)の設立に尽力し、池田勇人会長のもとで宮沢喜一氏とともに副会長となり、東京・山谷のドヤ街などで活動 | 6月18日 岸内閣改造で池田は通産相に就任 この年下期より岩戸景気 | 2月16日 カストロ、キューバ首相に就任 9月30日 中ソの意見対立激化 | ||||
49歳 | |||||||
昭和35年(1960) | 3月18日 文教委員会で委員長として特に発言し、理科教育研究の促進と大学教授の待遇の改善を求める 7月 自民党総裁公選のため池田勇人の立候補声明を起草するなど、事務総長的な働きをする 7月19日 内閣官房長官に就任(第一次池田内閣)。一級に叙される 7月20日 第35国会の政府委員となる 10月17日 第36国会の政府委員となる 10月18日頃 池田首相の施政方針演説の草稿を執筆。浅沼事件の発生とともに、山崎国家公安委員長の辞任を求める処置をとる 11月12日 NHKテレビ討論会に官房長官として出席する 11月20日 衆議院議員当選五回(第29回総選挙)得票数6万4077票で第1位 12月8日 内閣官房長官に留任(第二次池田内閣) 12月12日 第37国会の政府委員となる 12月27日 第38国会の政府委員となる 岳父鈴木三樹之助、老衰のため死去。75歳 | 1月5日 貿易為替自由化 1月24日 民主社会党結成 5月19日 衆議院、安保条約延長を強行採決。以後国会空白状態、連日国会周辺にデモ 6月15日 デモ隊国会に突入 6月23日 新安保条約発効 7月14日 池田勇人自民党総裁に 7月15日 岸内閣総辞職 7月19日 池田勇人内閣成立 10月12日 浅沼稲次郎社会党委員長、演説中に刺殺される 10月24日 衆議院解散 11月20日 第29回総選挙 12月8日 第二次池田内閣 12月27日 国民所得倍増計画を閣議決定 | 4月18日 韓国で4月革命、李承晩大統領辞任 7月11日 コンゴに紛争 9月10日 ラオス内戦本格化 11月8日 ジョン・F・ケネディ、米大統領に当選 12月20日 南ベトナム民族解放戦線、結成される | ||||
50歳 | |||||||
昭和36年(1961) | 1月9日 NHKテレビ“私の秘密”に長男・正樹らとゲスト出演する 7月18日 内閣官房長官に留任(第二次池田改造内閣) 9月25日 第39国会の政府委員となる 10月30日 長女・芳子、津島寿一夫妻の媒酌で大蔵省に勤務の森田一と結婚 11月2日 ワシントンで開催の第1回日米貿易経済合同委員会に出席(4日まで) 12月11日 第40国会の政府委員となる | 4月1日 所得倍増計画予算成立 4月19日 ライシャワー駐日米大使着任 6月12日 農業基本法公布 6月20日 日米首脳会談 7月18日 池田内閣改造で“実力者内閣”できる 11月2日 第1回日米貿易経済合同委員会、箱根で開催 | 5月16日 韓国に軍事クーデター 10月18日 南ベトナムのゴ・ジンジェム大統領、非常事態を宣言 | ||||
51歳 |
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