『香港政治危機-圧力と抵抗の2010年代』(東京大学出版会 2021年)
倉田 徹
(立教大学法学部政治学科教授)
拙著『香港政治危機』に対して、伝統ある大平正芳記念賞を授かることができますことは、私にとって無上の喜びです。長年にわたり、数多くの尊敬するアジア研究の先輩方が受けられてきた賞を私も頂くことができ、受賞者の列に加えて頂けることは、身に余る光栄です。拙著を選定して下さいました大平正芳記念財団と、審査員の先生方に深謝申し上げます。
香港の政治の研究は、ほんの少し前までは社会の大きな関心を集めることはほとんどありませんでした。1997年のイギリスからの返還によって「一国二制度」を順調にスタートさせた香港は、国際金融・貿易・商業の中心地である経済都市と見なされる一方、東京都の半分の面積しか持たない小さな地域の政治は、注目に値するものとは見なされておりませんでした。
それが、2010年代に入って急速に「政治化」し、巨大な抗議活動によって世界的注目を集めたこと、何よりも香港市民が民主主義に目覚め、政治活動に熱狂したことは、香港人は政治に関心がないと言われつづけた過去の常識を覆す事態でした。香港政治を長年観察してきた私にとっても予測不能の事態が繰り返され、思考の前提を根本から築き直すことを強いられながら、どうにか編み上げたのが本書でした。
本書の完成後、香港では政府の反撃が強化され、民主派への大規模な弾圧が開始されました。香港政治危機は政府によって鎮圧されたのか、それとも性急な政治の改造が新たな危機を香港にもたらすのかはまだ分かりません。しかし、少なくとも言えることは、平穏だった香港の政治がこれほどの危機に陥った原因は、世界の秩序の大きな変動・不安定化とも深く関係しているであろうと言うことです。資本主義と社会主義という、異なるイデオロギーの和解の申し子だった「一国二制度」の香港は、今は新たな世界の裂け目となろうとしています。
香港政治の危機は、私たちの時代の東アジアの危機を象徴しています。アジアの平和と民主主義のために、この章を励みに、研究を続けて行きたいと思います。
略歴
2008年東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。専門は香港政治。在香港日本国総領事館専門調査員(2003~06年)、日本学術振興会特別研究員(2006~08年)、金沢大学国際学類准教授(2008~13年)などを経て現職。著書に『中国返還後の香港』(名古屋大学出版会、2009年、サントリー学芸賞受賞)、共著に『香港 中国と向き合う自由都市』(岩波新書、2015年)、共編著に『香港と「中国化」』(明石書店、2022年)、『香港危機の深層』(東京外国語大学出版会、2019年)など。