9つの研究グループ報告書要約文

多元化社会の生活関心研究グループ

第一章 生活関心のとらえ方
(1) 近代化・工業化の帰結としての豊かな社会の実現は、人々を基本的欲求からより高次の多様な欲求や関心に向かわせた。現代社会が多元化社会と言われる所以である。われわれは、こうした多様化の現象を固定的な立場にとらわれず、しなやかにとらえていく必要がある。
(2) 人々の生活関心のみならず、一般に人間・社会現象を理解しようとするとき、世論調査に基づく大量集合データを統計学などにより処理し、客観的に把握する方法(ここでは「マクロ的方法」と呼ぶ)、医学における臨床的アプローチのような個別観察による方法や、直観的に洞察力を働かせて物事の核心に迫ろうとする方法(ここでは「ミクロ的方法」と呼ぶ)がある。
(3) 生活関心とか生活意識を探る上で「ミクロ的方法」を重視する立場は、人々の真の欲求とか関心は、心の中に潜在的にわだかまっていることが多く、こうしたホンネの世界は一つの事例を徹底的に観察・分析したり、自己体験を通して人々の内なる思いに迫ったりすることによって引き出せるものであり、世論調査はタテマエ的意見しか把握できない、とするものである。
これに対して「マクロ的方法」を重視する立場は、世論調査データから得られる情報には、客観性、安定性があり、それがタテマエ的になりがちなことは認めるが人間社会ではタテマエも重要な意味を持っている、とするものである。
複雑な人間・社会現象をとらえる方法が一つでは不十分なことは当然であり、様々な方法が相互に補い合って、活用されることが大事である。

第二章 国民の生活満足感
(1) 日本人の価値観の一つの軸として、「伝統―近代」を考えた場合、調査結果は、これまでの「近代」を志向してきた傾向が近年「伝統」を重んずる方向に変わりつつあることを示している。しかも、この「伝統回帰」が、高度成長の時代に育ち、平和で豊かな生活を送ってきた世代を中心に広がりつつあることは注目に値する。
この「伝統回帰」の増大は、国民の意識・価値観が大きく変わりつつあることを意味するが、今日「近代」がもはや日本社会の志向すべき目標ではなくなっていることを考えれば、それは必ずしも近代的意識の後退を意味するものではないかもしれない。このような変化は、例えば「日本的見方―西欧的見方」といった価値の対立軸を導入することによって、より容易に説明できるかもしれない。
(2) 国民の福祉の増大のためには、その満足感、幸福感が高められる必要がある。両者を比べると、満足感が、どちらかというと具体的な「対象」に対しての合理的な判断であるのに対し、幸福感は、より情緒的で浮動しやすい反応であり、多次元的な構造(どこか一つで十分満たされればすぐに最高の幸福を感じ、逆にどこかで著しい欠落があると不幸のどん底に落ち込む、といった構造)を持っている。
満足感を規定している要因は、第一に「階層帰属意識」(「中の上」以上で「満足」)で、次いで「年齢」、「知力・体力」、「性別」、「所得階層」の順に並ぶ。幸福感の規定要因も、満足感のそれと大変よく似ている。
(3) 国民の生活満足感については、暮らしの満足度調査といった調査を行うと、七割程度が「満足」と答えている。しかし、これを生活領域別に見ると、「健康」、「家庭」、「仲間」など、自分の身近な頒域では満足度が高く、「政治」とか「国際社会」といった自分から遠い領域では満足度が下がっている。また、身近な領域、特に「家庭」の満足度が生活全体の満足度に強く関係している。
日本人にとって最も大切な場である「家庭」は、大別して「貢献と達成の場」、「情緒的な結合の場」、「ゆとりと余裕の場」としてとらえられており、性別、年齢などの属性によって、それぞれの場としての「家庭」に対する充足感は異なっている。
以上については、われわれの研究グループが行った「生活関心世論調査」の報告書(この報告書の附属資料)に詳しく説明した。

第三章 生活関心の新しい変化―若者の意識―
(1) 世の中の変化は若者から始まるという意味で、若者の意識の変化を探ることは重要である。若者の政治意識については、各種の調査結果は、「支持なし」層の増大、政治知識の低下の傾向を明らかにしている。こうした政治的無関心は、政治不満のうっ積、政治に対する無力感、豊かさの中での安心感、ホンネの答の増大など、様々に解釈し得よう。
若者の意識の変化は、「カウンター・カルチャー」に対する高い共感度にもよく現れている。
(2) 音楽に表れた若者気質を見ると、例えば若者はニュー・ミュージックの旗手たちを身近な素人的存在として受けとめ、彼らに「あこがれ」よりも「共感」を求めている。ニュー・ミュージックをはじめ、若者の支持するカウンター・カルチャーには、既成の文化・芸術と異なり、素人性が強い。また、若者は、日本の伝統的な情緒を表現したセンチメンタルな音楽を好み、「やさしさ」、「あたたかさ」といった中間色的イメージにひかれる傾向にある。
(3) 週刊誌の面から若者文化を見ると、「平凡パンチ」やアンノン文化を経て、今日では、新「アンアン」・「クロワッサン」あるいは「ポパイ」、「ブルータス」などが・実現可能で身近な情報、更には日本的なものへの郷愁、に焦点を合わせた編集方針をとって、若者の人気を集めている。若者は夢を追い求め、あこがれを持ちつつも、身近で手取り早く獲得できるものを着実に求めていると言える。
この傾向は、テレビの世界でも同じである。今日、テレビでは、華麗な虚構の世界よりも目常生活を描いた番組が受けており、若者は「スター」にあこがれるよりも、「タレント」に親近感を持っている。
(4) 最近の少年非行は、昭和四十年代初め頃までのそれが主として反社会的で現実型であったのに対し、非社会的で遊び型のものが多い。「遊び型非行」には、万引き、自転車盗などのほか、性の逸脱行動、暴走行為といった新しい形態も見られ、これは世の中の新しい変化に関連があると見てよい。
(5) 以上から、若者の新しい人間像をまとめると、物事を論理よりもイメージでとらえる傾向、勤勉・禁欲よりも情緒・快楽を基準として行動する傾向、自己中心的で自分を保留しておく傾向(「モラトリアム人間」的側面)といったことになろう。
このような若者の姿は、平和と豊かさを土台に形成されている現代の社会状況に、より適合しているのかもしれない。しかし、若者は、今後大きな危機に臨んでそれを乗り越える意欲と、新しい時代を創造的に切り拓いていく能力を持っているのだろうか。

第四章 国民の政治意識
(1) 人々の政治への志向は、現在、拡散と矛盾の様相を呈している。すなわち、第一に、政府や政治家への期待や要求が高まると同時に、彼らに対する信頼や尊敬は減衰し、彼らの権威に対する批判的態度が強まっている。第二に、自ら決定に参加しようとする意欲の高い人々が出現するとともに、有効性感覚の欠如や無力感も広まり、政治的無関心層も増大している。この他、指導力の発揮への期待が高まる一方、話し合いや合意尊重への要求も強まり、更に、福祉水準向上を強く望む人々がいると同時に、税負担の増大を恐れ、行政の過剰介入を好まない人々も少なくない。
このような矛盾した政治志向は、各人の意識の中にさえ混在しており、「政治不信」を生み出す基底的条件となっている。
(2) 政党支持の規定要因は、単純ではない。日本では、政党支持と、宗教や階級帰属意識との関連は伝統的に弱く、政策やイデオロギーとの相関も、近年とみに弱まっている。また職業、年齢、学歴、居住地等のデモグラフィックな要因も、政党支持を説明する力を失いつつある。生活に対する一般的態度(ライフ・スタイル)と政党支持との間にも、ある程度の相関が認められるが、その関連の構造は、なお十分に明確ではない。
政党支持の規定要因を解明する努力には、今後二つの方向があり得る。第一は、これまで別々に検討されてきた多様な要因を統合し、多次元的に考察する方向であり、第二は、人々が強く帰属意識を抱いているか、または「義理」や「因縁」を感じている集団ないし個人との関連で、各人の政党支持を分析するという、ホーリスティック・アプローチであろう。今後、このような方向でのより実証的な研究が必要である。
(3) 政党支持と投票行動とは密接に相関しているが、完全に一致するわけではない。それは、第一に世論調査の際に特定政党を支持した人が確実にその支持政党に属する候補者に投票するとは限らないし、第二に、政党や候補者の選挙運動・戦術が有権者の投票行動に無視し得ない影響を及ぼすからである。
また、有擁者の政党支持と候補者の選挙運動と並んで、選挙制度も選挙結果に大きな影響を及ぼす。選挙制度が変わり、集計方法が変われば、投票行動が同じでも選挙結果は異なったものとなる。
かくして、代表制民主主義のタテマエにもかかわらず、選挙結果から直接的に民意を推定することには十分慎重でなければならない。

第五章 生活関心と政策形成
(1) 特に多元化社会においては、国民の現実の姿、関心の所在を正しく把握することが、政策形成にとって重要な意味を持つ。
(2) 政策形成者は、世論調査の結果に、そのまま具体的政策を求めるべきではない。調査結果は政策決定の一つの参考資料であって、具体的政策決定は政策形成者が自らの責任と判断で行うべきである。調査から出てくる意見は素朴で、率直な願望ではあっても、ごく視野の狭いものに過ぎないからである。
また、調査結果の中から都合のよいところだけを取り出し、それを恨拠にして、政策形成者がその政策を正当化したり、宣伝したりすることも、もとより世論調査の正しい使い方ではない。
(3) 政策形成者は、長期的、総合的視野に立って、ときには世論に反した決断を行い、自らの指導力を発揮して、信ずるところを成し遂げることも必要である。
しかし、その場合でも、その政策の国民への説明には十分意を尽くし、実施結果についても、最終的には選挙という形を通じて、民意を問わなければならない。
(4) 「ミクロ的方法」、「マクロ的方法」のいかんを問わず、様々な方法によって得られた人間・社会現象に関する清報を、政策形成者が利用することの積極的な意味は、政策形成者と民意との円滑なフィード・バックを可能にするところに存在する。このようなフィード・バックが具体的にどのようなシステムの下で行われることが望ましいかは、今後慎重に検討すべき課題である。

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