総合安全保障研究グループ
一 安全保障政策の総合的性格
安全保障とは、国民生活をさまざまな脅威から守ることである。
そのための努力は、脅威そのものをなくするための、国際環境を全体的に好ましいものにする努力、脅威に対処する自助努力、及び、その中間として、理念や利益を同じくする国々と連帯して安全を守り、国際環境を部分的に好ましいものにする努力、の三つのレベルから構成される。
このことは、狭義の安全保障についても、経済的安全保障についても、妥当する。
この三つの努力は、相互に補完すると同時に、矛盾もするので、そのバランスを保つことが重要である。 安全保障問題は、以上の意味のみならず、対象領域と手段の多様性という意味でも、総合的性格を持つものである。
二 状況と課題
(1) 日本の安全保障問題を考えるに当たって、一九七〇年代に生じた最も基本的な国際情勢の変化は、アメリカの明白な優越が、軍事面でも、経済面でも、終了したということである。
軍事面では、一九六〇年代半ば以降、アメリカが軍備増強を手控えていたのに対し、ソ連が軍備拡張を続けたことにより、米ソ間の軍事バランスはグローバルにも、地域的にも、変化した。この結果、アメリカの軍事力は、その同盟国・友好国に対して、かつてのように十分に近い安全保障を与え得なくなった。 このため、同盟国・友好国としては、特に通常兵力の分野での自助努力の強化が必要となり、アメリカの「核のカサ」の信頼性も、アメリカに対する協力がなければ、保持され得なくなった。
経済面では、アメリカ経済の力は、絶対的にも、また、西欧諸国と日本の経済発展によって相対的にも、低下した。この結果、国際通貨体制や自由貿易体制の維持を従来と同じようにアメリカに大きく依存することはできなくなった。
(2) 国際情勢におけるもう一つの大きな変化は、新しい南の勢力の台頭という事実である。南の要求が現状変更から現状否定へと進むことになれば、それは国際政治・経済システムへの大きな脅威となろう。
南北関係の安定した発展は、特に日本にとって重要である。日本は、その総合安全保障努力の一環として、開発途上国の経済発展と南北間の秩序形成に大きな役割を果たさなければならない。
(3) 今や、アメリカがほぼ単独でシステムを維持していた「アメリカによる平和」の時代は終わり、各国が協力してシステムの維持・運営を行う「責任分担による平和」の時代に変わった。日本がシステムの中で自国の経済的利益のみを追求することは、できなくなったのである。
(4) 今日、日本は、国民の営々たる努力により、かつてない自由と経済的豊かさを享受している。今後とも日本の政治・経済体制が他国からの侵略に脅かされることのないよう、これを守っていくためには、日本は、国際システムの維持・強化に貢献するとともに、自助努力を強化することが必要である。
三 いくつかの具体的考察 一 日米関係
(1) 日米間の緊密な協力関係の維持が日本の総合安全保障にとって最優先の課題である基本的な理由は、日本がアメリカとともに、自由で開かれた国際秩序を志向していることにある。
(2) 一九八〇年代においては、日米両国の均衡関係が、軍事、経済、文化などの領域によって甚だしい不整合を生じていることから、両国関係は大きな試練を迎えるであろう。
(3) この中で日本は、防衛努力の強化を含む軍事的協力についてはより具体的な、全体としてはより総合的な、日米同盟関係を構築していく必要がある。特に、その自主的判断によりアメリカの支持を必要と考えたときは、積極的かつ強力に支持することが肝要である。
(4) 今や世界全体のGNPの一割を占めるに至った日本は、それにふさわしい国際的責任を果たし、自由な政治・経済・社会体制の擁護に努めることが、極めて重要である。
二 自衛力の強化
(1) 日本の防衛政策は、日米安保体制を基軸として、核抑止力及び大規模侵攻についてはアメリカに依存し、通常兵力による小規模・限定的な侵攻に対しては、日本自らのカで抵抗し、簡単に既成事実が作られることを拒否するという考え方に立っている。この、日本の「拒否力」としての防衛力を保有する、という考えは基本的に正しい。
(2) 問題は、現在の日本の自衛隊が最低限の必要である拒否力を十分備えていないことである。
自衛隊は、三軍を統合的に指揮・統制するシステムを持っていないなど、有事に有効に作動するために必要なソフト・ウェアの面で多くの欠陥がある。また、戦闘能力の面でも、専守防衛を有効に行うための工夫、抗たん性の確保、後方整備などが疎かにされてきた。これまでこうした努力が見られなかったことは問題である。
更に、防衛費全体が少なすぎるためもあって、その中での人件・糧食費の比率が高く、兵器・装備は量質ともに絶対的に劣っている。
(3) 日本の防衛費の中で、装備購入費の比率は現在二〇パーセントに過ぎない。したがって、必要とされる装備を確保するため、この比率を三〇パーセントにまで高めても、防衛費全体の伸びは小さく、その対GNP比率は一・〇パーセントから一・一パーセントの枠内に収まる。
自衛隊は、ソフト・ウェアの面での改善・専守防衛のための新しい兵器体系の検討、冗費の節約を真剣に行いつつ、防衛費を現状から二〇パーセント前後増額することで、かなりの拒否力を具備し、有意義なものとなり得る。
三 対中・対ソ関係
(1) 近年の日中関係の顕著な進展に対し、ソ連は逆効果的反応を示し、その結果、日ソ関係は悪化した。これをそのまま放置することは、日本の安全保障上極めて好ましくない。ソ連は日本に対して脅威を与え得る、少なくとも当面唯一の存在だからである。
(2) 対ソ関係を友好的にすることは、多くの国にとって困難な課題である。その大きな理由は、ソ連独特の力の哲学に求められよう。特にソ連のアフガニスタン介入後、対ソ交流の増大は一層難しくなった。しかし、おそらく数年を経ずして、対ソ交流の増大は可能かつ必要となるであろう。
(3) 対ソ関係の要諦は、ソ連から弱小と侮られることも、脅威を与える存在と見られることも、避けなければならないということである。すなわち、堂々とし、しかも敵対的でなくつき合うという二つの要請を、現実にどう調和させるかということである。
四 エネルギー安全保障
(1) 安価で豊富な石油を前提とした時代は終わり、再生可能エネルギーの本格的利用は二十一世紀になると予想されることから、中・長期的なエネルギー危機の現実性はかなり高い。
これに.備えるためには、まず、世界全体のエネルギー供給の確保に努力する必要がある。このため、基本的には、国際協力による省エネルギー、代替エネルギーの開発・利用、新エネルギー技術開発の推進が必要である。また当面の努力として、石油取引の円滑化、産油国の工業化への協力、オイル・ダラーの還流の促進を図るため、先進工業国間協力や産油国・消費国間対話の促進が重要である。
更に、日本にとって重要な産油国、産炭国、ウラン生産国との経済関係の緊密化の努力、日本自身による周辺大陸棚での石油探鉱・開発、原子力、石炭の開発・利用の促進のための努力も必要である。
(2) 短期的エネルギー危機は、戦争、内乱などの政治的理由、油田事故、タンカー衝突などの物理的理由、売買契約の不調などの経済的理由によって発生すると見られる。
その対策としては、IEA緊急融通システムの実効性確保、石油の海上輸送ルートの確保などの努力のほか、石油、石炭、ウランの備蓄の一層の拡充、危機の的確な予知と緊急時の需給調整を適切に行い得る体制の準備、といった自助努力が重要である。
五 食糧安全保障
(1) 食糧安全保障が脅かされるケースとしては、海上輸送ルートの途絶、主要輸出国の不作、主要輸出国との外交関係の悪化、世界の人口と食糧生産との不均衡といった短期的、中・長期的なものが考えられる。
こうした可能性は、目下のところ少なく、起こっても短期的、限定的と見られるが、万一の場合、食糧不足の及ぼす影響は大きい。
(2) 食糧安全保障のために食糧自給度を引ぎ上げるべしという議論も、農業についても自由貿易主義を徹底させるべしという議論も、ともに非現実的である。自由貿易主義は、適切な農業政策との組合せにより、日本農業の一層の後退を招くことなく、進展させ得る。
(3) このことは、食糧確保についても国際協力と自助努力の双方が必要であることを意味する。
国際協力としては、中・長期的には、世界的な食糧増産への貢献、特に、開発途上国に対する農業協力が璽要である。短期的対策として、国際的緩衝在庫の設置も必要である。
自助努力としては、緊急時の食糧増産が可能となるよう、高い潜在生産力の維持のほか、国から消費者レベルまでの備蓄の拡充、緊急時の流通システムの検討が必要である。
六 大規模地震対策―危機管理体制―
(1) 大規模地震対策のためには、第一に、地震予知能力の向上、第二に、地震被害の主な原因を調べたマイクロ・ゾーニング・マップと災害の態様についての被害想定シナリオの作成がまず必要である。
(2) 大規模地震対策は、この上に立って、都市・地域政策、交通・運輸政策、通信政策など、あらゆる政策について防災的視点を導入し、総合的に推進されなければならない。
(3) 緊急事態に際しての国・地方自治体の危機管理能力を強化するため、抗たん性を備えた指揮室の設置、多重無線通信網の整備など、適切な指揮・命令と情報伝達を確保することが、特に重要である。
また、各家庭、学校、企業が、食糧、飲料水、医薬品などを備蓄するなど、自主防災能力の向上を図り、「生き残りのノウハウ」を身につけることが必要である。
結語
われわれは、この報告の問題提起をきっかけとして、広く国民の間で活発な総合安全保障に関する議論が起こり、実り豊かな成果を生むことを期待する。
また、各省庁がその施策を進めるに当たって、総合安全保障の見地にも十分配慮することを要望する。
更に、安全保障政策を総合的、有機的に推進するための機構として、「国家総合安全保障会議」の設立を提案する。
われわれは、この報告で述べた提言の早期実現を強く希望する。