文化の時代の経済運営研究グループ
はじめに
「文化の時代」の到来ともいわれるように、かつてない自由と経済的豊かさが、人々の心に、これまでの物質文明や近代合理主義の下で、ともすれば見過ごされがちであった人間の精神的.文化的側面への反省を促し、より高度な人聞的欲求を目覚めさせるに至った。この報告書は、急速な近代化を可能にした日本の文化・社会の特質と近代化のための経済運営戦略の概要を説明しつつ、もはや追いつくべきモデルを見出すことが困難となった日本が、これからの「文化の時代」にとるべき経済連営の指針を明らかにすることをねらいとしたものである。
一 高度産業社会の直面する問題
近代化・産業化の結果、欧米先進諸国と日本が達成した高度産業社会、「豊かな社会」は、今日、大きな転換の時期を迎えつつある。この点を、次の三つの視点から分析した。
(1) 「豊かな社会」の到来を可能にした経済的諸要因のうち、有効需要管理政策と福祉国家政策は、様々な困難に直面し、また、政府部門の肥大化が、先進国の経済的活力の低下を招いている。さらに、技術の停滞や資源・エネルギーの制約などの問題もおこっている。(経済的視点)
(2) 高度産業社会は「新中間層」と呼ばれる新しい階層を生んだ。新中間層の示す一つの傾向は、所属集団からの「個別化」と、「気の向くままに暮す」という「即自化」であるが、この傾向が、高度産業社会を支えた生産中心主義・会社中心主義の社会心理を変化させている。また、もう一つの傾向は、一応満足すべき現状を維持しようとする「保身性」と、関心や行動の「分裂性」である。この二つの傾向は、多くの先進産業社会を機能不全に陥れている。「先進国病」の特徴は、経済面だけでなく、政治・社会面にも及んでいる。(文化・社会的視点)
(3) 欧州諸国や日本の経済力の向上は、自由世界における米国の地位の相対的低下とともに、米国を中心とする国際経済秩序を動揺させ、その再構築なしには、世界経済の発展と繁栄が期し難くなっている。さらに「第三世界」の登場など世界の多元化の進展と南北問題の重要性の高まり等が、問題を一層深刻なものとしている。(国際的視点)
二 近代欧米諸国の経済運営
自由経済主義から混合経済体制への移行を一般的に考察したあとで、今日のイギリス、アメリカ、西ドイツおよびフランスにおける「市場経済運営の実態」を分析。
ひとくちに混合経済体制といっても、政府の役割、市場への介入の程度、民間の自由の内容、労働組合の役割などについてみると、各国の社会的な特質、文化、伝統といった要因とも深くかかわって、さまざまな相違が見られる。
三 近代日本の経済運営
(1) 明治初期から昭和初期にかけての経済運営をふりかえると、いわゆる文明開化政策や殖産興業政策の実効が大きかったとは考えられず、むしろ、民間の競争原理を刺激して経済の近代化、資本主義の確立を促したという点にその基本的姿勢を求めるべきである。
(2) 戦後の高度成長に果たした財政の役割は、成長の牽引にあったのではなく、むしろ「小さな政府」の故に、金融機関を通ずる成長産業への低利の資金供給を容易にしたこと、および、企業間の競争や企業努力の促進をもたらしたことにある。また、金融市場における統制が果たした役割も見逃せない。もっとも、財政赤字の拡大と金融の国際化という要因から、現在では、こうした体制を維持し続けることがむずかしくなっている。
(3) 政府の、「経済計画」と、企業に対する「行政指導」も、戦後の高度成長に少なからぬ役割を果たした、ただし、計画といってもその実体は民間企業の自由な活動についての期待・目標にすぎないし、行政指導も統制的な強い手法をとってはいない。にもかかわらず、これらが機能しているのは、事前のコンセンサスが得られていること、および、後に見るような日本社会の文化的特質による。
四 日本の経済システムの特質
(1) 「人と人との間柄」を大切にする日本文化の特質は、日本の経済運営、経済システムの根底に明瞭に見て取ることができる。それは、例えば、次のように要約できる。
(2) 雇用の面では、日本文化の特質は、長期安定雇用制と年功序列制に示されている。これらの制度は、人と人との間柄を大切にする「なかま」的組織体の内部に、連帯感・安心感の上に立った昇進競争のダイナミズムと組織体の活力を生み出してきた。
(3) 組織面での特質としては、「リゾーム構造」、即ち「活力ある部分システムを持った分散型構造」があげられる。アメリカの経営組織は「トリー構造」といわれる幹から枝への分れ方が明確な構造を持ち、トリーの頂点にあるリーダーの「統合」が重視される。これに対し、日本の経営組織は「リゾーム構造」といわれる根茎のように複雑にからまった構造を持っており、全体としてなんとなく「統合」されている。
このような組織においては、それぞれの部局の職務は、誰がそのポストに座るかによって流動するという柔軟なものになっており、その意思決定も、リーダーの「上命下達」としてではなく、人と人との間柄に基づく全体の一致によって行われている。
日本型のこのような組織構造や、意思決定の仕組みは外部からはなかなか理解しにくいが、「活力ある部分システム」を集団的に編成しているため、組織の巨大化に伴う硬直化が抑えられ、逆に、組織内の諸小集団間の競争による活力や、状況に柔軟に対応し組織目標の達成に協力し合うことから生ずる活力が、顕著に見られることに注目すべきである。
(4) 勤労者の意識と労働組合の組織の面では、勤労者が企業と一体感を持ち企業別組合を構成していることや、労働者の教育水準が高いことから、賃上げについても、自らの生活のみならず、企業の競争力や物価上昇への影響まで考慮するという特徴が見られる。
(5) 市場における競争という面では、日本の競争は、「なかま」集団による競争であるため、ルールにのっとって行われる限り結果はどうあろうと構わないという欧米型の「フエア・プレイ」ではなく、競争が始まる前から結果はどうなるか、最適な分配方法(「フェア・シェア」)は何かということを考え、参加者が「おのおのがその所を得る」ことを目標としている点に、その特徽がある。
(6) 日本の行政指導が効果を発揮していることや、市場の透明度が低いと外国から思われがちなのも、このような、人と人との間柄を大切にする「なかま」構造から説明することが可能である。
(7) しかしながら、このような特質を持つ日本型経済システムも、日本人の働きすぎの問題や、低成長に伴う組織拡大率の鈍化によって生じた昇進の遅れなど、新たな問題に直面するに至っている。
五 文化の時代の経済運営
(1) 来るべき二十一世紀における「名誉と活力ある生存」を確保するために、この「人」と「文化」と「経済原則」の間にどのような調和を求めていくべきか、どのような「経済運営」を行うべきか。「文化の時代の経済運営」の「基本理念」を、次の五つに求める。
① 人間性の尊重
② 自主性の尊重
③ 創造性の尊重
④ 地域性の尊重
⑤ 国際性の尊重
(2) 以上の基本理念を踏まえ、特に緊急度の高いと思われる問題につき、次のように提言する。
提言一…文化の時代に即し、行政の総合性、効率性、開放性を高めるため、次の諸改革を行う。
① 総理大臣に直属する総合的な政策企画・調整組織の創設
② 行政組織及び行政事務の改革(省庁・部局の再編成、行政事務の整理・縮減、中央・地方の事務分担の再編成)
③ 情報と人事の交流の強化と開放化
提言二…人びとの生活意識・仕事意識の多様化、高齢化の進展や女性の職場進出に対応して、日本型経営組織を次の方向で再構築する。
① 長期安定雇用制の下における定年延長の推進の中で、機動的に動く組織の中核部分に対する選択的定年制の導入
② これと並行する形での、中・短期の雇用関係に立つ真の専門職制度の定着
提言三…文化の時代において、人々が新しい生き方を追求することをたすけるために、次の施策を推進する。
① 労働時間の短縮の促進
② 女性の社会参加と勤労機会の拡大
③ 高齢者にとっての働きがいある勤労機会の提供
④ 生涯教育訓練体制の確立
提言四…政府が行うべきことと、民間が行うべきことを明確にし、次の方途で「効率のよい政府」の実現を目指す。
① 当面の目標を「赤字公債」からの脱却に置く
② 行財政改革が国会の場でも検討されるような委員会を設ける
③ 財政の規模はもとより租税負担の水準についても、正しい情報の提供によって、国民的合意の形成を目指す
提言五…自由で効率的な金融市場と利用者のニーズに合った金融機関の形成のために、次の施策を講ずる。
① 金融市場における自由競争の促進
② 政策金融など特別の理由のない限り、金利介入の撤廃
③ 金融機関に対する直接的監督権限の縮小
④ 利用者の二ーズに応じた金融サービスの提供
提言六…今後の経済運営に当たっては、従来の大企業中心の発想を転換し、拡大を続けている第三次産業、とくに急速に発展している「ニューソフト産業」、「先進技術産業」などの新しい中小・中堅企業に、次の諸点を含め、十分配慮する必要がある。
① 適切な統計の整備をはかる
② 地域経済の健全な発達の見地に立って、支援と規制の両面から適切な対策を講ずる,
③ 資金調達のための市場条件の形成に努める
提言七…活力ある農業と豊かな農村の建設を目的として、次の施策を講ずる。
① 農地利用の中核的農家への集積と畜産を中心とする農業生産の再編成とを推進し、国内農業生産力の向上と開放体制への移行との両全をはかる
② 農村居住者への安定的非農業雇用機会の確保、農村社会資本の充実によって農村人口を維持しつつ、農村に混住する農業者、非農業者の協力による健康・快適な生活空間=魅力ある緑のむらづくりを進める
提言八…開かれた日本社会の構築を目指して、世界における自由貿易の原則を守り、日本の市場開放化のため努力するとともに、教育その他の方策により、日本社会の国際化を推進する。
提言九…日本経済の活力と創造性を最大限に発揮して、適正な成長を維持するとともに、分配の公正・福祉水準の向上に努めることは文化の時代の不可欠の要件である。そのため、次の諸点に配慮する。
① 適正な経済成長率の維持に努め、分配の公正の実現をはかる
② 物価の安定をとくに重視する
③ 福祉政策は社会的な弱者に対する最低生活の保障を中心に、重点的に行う