科学技術の史的展開研究グループ
一 「ホロニック・パス」
(1) われわれは、人類が二十一世紀において活力ある生存を確保し、文明社会の発展を支えるために、今後科学技術が目指すべき「新しい途」として、「ホロニック・パス」(holonic path)を選択すべきことを、提唱する。
(2) 近代市民革命、産業革命によって「個」の確立が強く要請されたことに対応して、近代科学技術も、対象(全体)を要素(個)に還元する「アトミズム」(Atomism)を基礎として成立した。
「アトミズム」の追求は、人類の知識を飛躍的に増大させ、領域の質的・量的拡大を通じて、人類に今日の物的豊饒をもたらした。
(3) しかし、このような「アトミズム」は、全体との関係における調和よりは「個」や要素を追求することによって、さまざまな形での地球的問題を招来した。
高度産業社会のなかで、疎外された孤独な「個」は、「文明病」を招いて社会の活力を低下させた。また、物質の豊かさの追求、科学技術の巨大化、人口の急激な増加は、大気中の炭酸ガス濃度の増大、海洋の汚染、資源・エネルギーの急速な消耗、将来における食糧の絶対的不足への懸念などを招き、それは人類の生存、種の保存さえもおびやかす脅威にもつながっている。これは、人類の居住空間が拡大し、「地球の有限容量」という壁に突き当たったことに起因する。
(4) 人類は、例えばエネルギーについて、自然環境のなかに適合して薪(たきぎ)を燃料としていた前近代型の「ソフト・パス」から、近代化、高度産業社会への発展のなかで、石炭を掘り、石油を汲み、これを燃料とする巨大科学・巨大施設化の「ハード・パス」をたどってきた。
しかし、このような「ハード・パス」は、一方において自然環境の破壊など人類の生存条件自身をおびやかす結果を招き、一元的「ハード・パス」思考への反省を生んだ。一九六〇年代後半から一九七〇年代は、発想の転換の時代であった。いまや、「人間と人工と自然との調和」、人と人との間柄を尊重する「人間性の回復」が求められている。
(5) 現代において「科学技術の停滞」といわれているのは、このような「ハード・パス」や「アトミズム」の行きづまりを示すものであろう。 これから人類の目指すべき「新しい途」は、全体と個、種と個体との関係、間柄を重視し、その調和を図るものでなければならない。それは、これまでの「ハード・パス」の偉大な成果を受け継ぎ、その上に立って人類の生存条件を改善しながら、人類の福祉、文明の質を高めていく、「ハード」と「ソフト」の調和のとれた「しなやかな」「フレキシブル」なものでなければならない。
われわれは、この「新しい途」を、「全体子」(holon)ということばにみられるように、全体と個の調和が図られるという意味で「ホロニック・パス」(holonic path)と呼ぶ。
二 科学における「ホロニック・パス」
(1) 近代科学における「アトミズム」は、物質を分子から原子、さらに素粒子へ、生体を細胞から核酸、さらに遺伝子コードへと、要素に還元する立場である。これは、自然現象についての知識を著しく増加させ、その理解を深めた。
(2) しかし、生命は単に要素に還元するだけでは理解されないことからも明らかなように、科学でも「ホロニック・パス」の考え方が重要である。
生体内の細胞は、個と全体との協調により、極めて効率的にエネルギー変換を行っていることが、見直されてきている。これは、「ホロニック」な立場から明らかにされるべき課題である。
医学の分野においても、電子顕微鏡による人の分子的考察に対し、人を、文化をもち、社会生活を営んでいる人間存在そのものとして、行動科学や文化人類学の立場を含めて考察する「人間生物学」(human biology)が興ってきている。これも、この方向に沿うものである。
(3) 近代科学は、前近代の「現象科学」から「要素科学」を発展させてきた。しかし、ある種のバッタが大群になると色が黒くなり、長距離を飛行して植物を荒らすこととなるように、要素の集合は質の変化を伴い、単なる要素の分析では理解できないことがある。
今後は、要素科学の成果の上に立って、個と全体との関係を「ホロニック」に捉える「総合科学」が求められる。
三 技術における「ホロニック・パス」
(1) 科学技術の「巨大化」には、①経済的スケール・メリットを追求した「文明の量的拡大」と、②飛行機、顕微鏡の発明やX線の発見にみられるような、新たな知識を探求する「文明の質的拡大」とがある。
しかし、質量両面での領域の拡大が、「地球の有限容量」という壁に突き当たったとき、近代文明は性格の変容を迫られた。特に、資源・環境面での制約が顕在化し、量的拡大に限界が生じた今日、人類は、質的拡大にいっそうの努力を傾注することが要請されている。
(2) 量的拡大は、「集中型」システムを生んだが、その限界の顕在化により、エネルギー・システムや都市システムについても、「分散化」の傾向がみられる。
もとより、集中型システムは一定のメリットを有しており、今後は、集中・分散の双方の多様で調和のとれた「ホロニック」なシステムが求められている。
(3) 文明が質的拡大へ移行しようとするとき、情報技術はその鍵となる。システムの分散化も、情報技術によって支えられる。情報技術と密接に関係するファイン・テクノロジーも、質的拡大に重要な役割を果たすであろう。
(4) 「ホロニック・パス」は、前近代に戻ることを意味するものではない。それは、質的拡大を指向し、分散化の傾向を有し、多様化を特色とする、未来をひらく新しい途である。
四「ホロニック・パス」への日本の対応
(1) 近年、欧米においても、日本文化が関心を集め、見直されてきている。日本は、自己を絶対視せず物事を相対化する文化特質によって、近代科学技術をも巧みに受容し同化してきた。また、人と人との間柄を大切にする日本文化においては、人は個としてよりも「なかま」と一緒にいることによって集団に帰属し、その集団は活力ある部分システムの 日本文化のこの特質は、「ホロニック・パス」に適しているものと考えられる。
(2) 日本人の創造性については、従来、輸入依存型であったとか、社会で試行錯誤が認められる余地が乏しかった、などの否定的側面が強調されてきた。しかし、日本人は、近代科学技術を積極的に受容・同化してきたところであり、そこには、これを可能とするような日本なりの科学技術の十分な蓄積があったからである。また、個人的業績が乏しいとされるのは、「なかま」集団で仕事をすることによるところが大きいであろう。
しかし今後は、日本社会が、人を評価する場合に「減点主義」ばかりでなく「得点主義」をも加味し、試行錯誤を許容する余地を広めるとともに、個人も失敗を怖れぬ勇気ある挑戦が必要である。
(3) 今後の研究体制の整備に当たっても、「ホロニック・パス」に対応するとともに、創造性を育てるため、①知的冒険と試行錯誤を許す評価システムの確立、②研究システムの弾力化、③研究体制におけるソフト面の重視、④自主性と多様性の確保、を考慮する必要がある。
(4) また、今後の科学技術の発展に当たっては、専門化され、制度化された科学技術の専門家集団と大衆の間の橋渡しを強化することが必要である。このため、大衆の理解を深めるとともに、その批判を受け入れる途を、開かれたものとしなければならない。この分野において科学ジャーナリズムの役割が期待される。
(5) われわれは、従来自然科学がその専門分野ごとに直線的に独自の発展をとげてきたことが、人類の生存条件の悪化を招来したことを反省し、今後は、自然科学の各分野が学際的に協力し、さらに自然科学が人文科学、社会科学との相互関連を重視し、総合的に、「ホロニック」に発展していくべきことを提唱する。
(6) 総合的で「しなやかな」「ホロニック・パス」の推進のためには、日本の科学技術行政は、現在の「タテ割行政」の弊害を強く反省し、今後は、省際的協力のもとに、相互の連絡調整をいっそう緊密にし、総合的かつ積極的に展開していく必要がある。
(7) われわれは、この報告書を一つの契機として、科学技術に対する理解が深まるとともに、今後の科学技術の進むべき途についての活発な議論が行われ、広く国民的合意が形成されることを期待している。と同時に、政府が、この報告書を十分に検討の上、われわれの提案している方向で、今後の科学技術行政を総合的に強力に実施していくことを強く希望する。