『二・二八事件―「台湾人」形成のエスノポリティクス』
何 義麟(台北師範学院社会科教育学系助理教授)
<台湾社会における「和解」と国際間の相互理解による平和のために>
第20回大平正芳記念賞受賞の通知に接しまして、望外の喜びを感じております。「二・二八事件」と題する拙著に、名誉あるこの賞を賜ることは、わたくし個人の研究成果が認められたという喜びはもちろんながら、台湾史上におけるこの悲劇的な事件がより広く理解されるようになったということでもあると感じております。
二・二八事件は、戦後台湾で発生した政府と民衆の衝突事件であり、この衝突時件で多くの社会的エリートや一般民衆が虐殺されたことから、その後の台湾社会において深刻なエスニック・グループ間の対立が生じ、また台湾人のナショナル・アイデンティティにも影響を及ぼしました。事件後、長い間、この事件はタブーとされ、学校の教科書にも取り上げられず、公の場においても語られることはありませんでした。そのため、私は1984年に大学を卒業するまで、二・二八事件のことをまったく知りませんでした。私と同世代の人々も同様であったと思います。
その20年後、無知だった私が二・二八事件をテーマとした著書で賞をいただきました。過去の権威主義体制下において、台湾の学校教育は、台湾民衆の歴史的な記憶と生活体験に反するものでしたが、その後の民主化に伴い、台湾の歴史はようやく重視されるようになりました。この時代の変化が私に新たな勉学のチャンスを与えてくれ、しかもこうして自分なりの成果を出すことができました。拙著の公刊は台湾の民主化発展に貢献した人々なくしてはありえなかったことだと思います。ここに深く感謝いたします。
また、私自身の研究生活においては、日本への留学が最も貴重な生活体験であったと言えます。私は日本語を通して台湾史を学び始めました。そして歴史研究のために、多くの年配の台湾人と付き合うようになりました。その時、最も不可解だったのは、なぜ彼らの多くは日本時代を高く評価し、国民党政権を厳しく批判するのか、ということでした。その後、日本語の史料を読み解き、日本での留学生活をおくるなかで、歴史の状況を把握することができ、また年配の台湾人の心情も理解できるようになりました。このような体験がなければ拙著を世に問うことも不可能であったと思います。この場をお借りして、留学の各時期に手助けをしてくださった方々に感謝の意を申し上げます。
本書における研究を通じ、私は差別統治の支配体制は打破すべきである。またエスニック・グループの対立は徐々に解消でき、国際間の相互理解が平和をもたらすと信じるにいたりました。わたくしの学術研究は、このような目標の達成にも役立つと思います。このたびの受賞にさらに力を得、今後もさらによい研究成果を出せるよう努力していきたいと思っております。
略歴
1962年台湾生まれ。84年東呉大学日本語学科卒業、99年東京大学大学院総合文化研究科学術博士取得。現在は台北師範学院社会科教育学科助理教授。台湾近現代史専攻。主な日本語論文に「〈国語〉の転換をめぐる台湾人エスニシティの政治化」(『日本台湾学会報』、1999年)、「〈日台親和〉の虚像と実像」(『インパクション』、2000年)、「台湾人の歴史意識」(『アジア遊学』、2003年)、「戦時下台湾のメディアにおける使用言語の問題」(『台湾の近代と日本』、2003年)「台湾人エスニシティの形成と南島文化」(『東北学』、2003年)などがある。