報告書解説
一、政策研究会設置の目的と経過の概要
「時代は急速に変貌しています。そして、長く苦しかった試練を経て、ようやく黎明が訪れてきました。あたりはまだ闇でも、頭をあげて前をみれば、未来からの光がさしこんでいます。後をむいて立ちすくむより、進んでその光を迎え入れようではありませんか。
選択は、慎重で聡明でなければなりません。私は、みなさんの選択が必ずや時代をひらく鍵となることを、確信いたします。
私は、ゆるがない日本を築くことに全力をあげる決意であります。
この大事業が私の世代に完成することがなくとも、私は、次の世代が力強く引き継いでくれることを信じております。」
かつてこう語っておられた故大平総理は、衆参同時選挙のさなか、激務と過労から病いに倒れ、この大事業の半ばにして、突然にこの世を去ってしまわれた。故大平総理が、死の直前まで胸を痛めておられた衆参同時選挙は、自由民主党の圧勝に終り、良識ある国民は、わが自由民主党に引き続き安定政権を維持、担当するよう求めたのである。
この国民の圧倒的支持と期待ならびに亡き大平総理の遺志に応えて、選挙後の自由民主党は賢明かつ整然たる後継者選びを行い、新たに鈴木善幸総理・総裁を擁立するとともに、見事な挙党一致体制を作り上げたのであった。こうした自由民主党らしい、「和の政治」体制の再確立を基礎に、これからの自由民主党は多難な一九八○年代の内外の政治課題に着実に取り組んでいかなければならない。
故大平総理は、一昨年の組閣直後に、二十一世紀を展望した中長期の政策ビジョンを検討立案するために、九つのグループからなる政策研究会を発足させた。この政策研究会は人文・社会・自然科学の広汎な各分野にわたる学者、有識者、各省庁中堅クラス等、延べ約二百名からなる專門家によって構成され、各研究グループとも、議長を除き、原則として昭和三十年代に大学卒業相当の世代の人材が起用された。なお、各研究グループには、議長と二名の幹事を置くほか、議事要旨のとりまとめ等に当たるため各省庁の課長補佐クラス二名からなる書記を置いた。また必要に応じてアドバイザーを置くとともに、適宜ゲスト・スピーカーを招いてヒアリングを行った。
政策研究会は、昭和五十四年一月十七日に発足した田園都市構想研究グループをはじめとして順次発足した合計九つの研究グループから成るが、その名称、議長、幹事等は次のようであ
(1)文化の時代研究グループ(五四・四・九 発足)
議長…山本七平(山本書店主)
幹事…山崎正和(大阪大学教授)、浅利慶太(演出家)
(2)田園都市構想研究グループ(五四・一・一七 発足)
議長…梅悼忠夫(国立民族学博物館長) 幹事…香山健一(学習院大学教授)、山崎正和(大阪大学教授)
(3)家庭基盤充実研究グループ(五四・三・一九 発足)
議長…伊藤善市(東京女子大学教授)
幹事…志水速雄(東京外国語大学教授)、香山健一(学習院大学教授)
(4)総合安全保障研究グループ(五四・四・二 発足)
議長…猪木正道(平和・安全保障研究所理事長)
幹事…高坂正堯(京都大学教授)、飯田経夫(名古屋大学教授)
(5)環太平洋連帯研究グループ(五四・三・六 発足)
議長代行…飯田経夫(名古屋大学教授) (発足時議長…大来佐武郎)
幹事…佐藤誠三郎(東京大学教授)
(6)対外経済政策研究グループ(五四・二・六 発足)
議長…内田忠夫(東京大学教授)
(7)文化の時代の経済運営研究グループ(五四・四・一一 発足)
議長…館 龍一郎(東京大学教授)
幹事…公文俊平(東京大学教授)、蝋山昌一(大阪大学教授)
(8)科学技術の史的展開研究グループ(五四・五・三〇 発足)
議長…佐々 學(前国立公害研究所長)
幹事…石井威望(東京大学教授)、小林登(東京大学教授)
(9)多元化社会の生活関心研究グループ(五四・二・二四 発足)
議長…林知己夫(統計数理研究所長)
幹事…飽戸 弘(東京大学教授)、佐藤誠三郎(東京大学教授)
政策研究会は組織の性格としては大平総理の政策諮問機関として設置されたが、その運営に当たっては、各研究グループの自主性を極力尊重し、討議・提言についても一内閣の命運を超えて、二十一世紀においてわが国が活力のある生存を確保するための政策ビジョンを明らかにすることが依頼されていた。
政策研究会の各研究グループは、発足以来おおむね毎月一回の総会のほか、随時幹事を中心とするスモールグループ会合を開催し、検討を重ねた結果、発足以来一年余の本年七月十四日までに九研究グループ全ての報告書が提出された。
なお、九研究グループの報告書のうち、大平総理に対し提出されたものは三で、残りは総理の御逝去により急遽予定を繰り上げてとりまとめられ、七月十四日までに全て伊東総理臨時代理に提出されたものである。
政策研究会、各研究グループの総会回数及び報告書提出状況はつぎのとおりである。
(1) 文化の時代研究グループ(一四回)
五五・七・一一 報告書提出(伊東臨時代理)
(2) 田園都市構想研究グループ(一四回)
五四・四・一〇 中間報告書(総論)提出
五五・七・七 報告書提出(伊東臨時代理)
(3) 家庭基盤充実研究グループ(一二回)
五五・五・二九 報告書提出(大平総理)
(4) 総合安全保障研究グループ(一五回)
五五・七・二 報告書提出(伊東臨時代理)
(5) 環太平洋連帯研究グループ(一〇回)
五四・一一・一四 中間報告書提出
五五・五・一九 報告書提出(大平総理)
(6) 対外経済政策研究グループ(二七回)
五五・四・二一 報告書提出(大平総理)
(7) 文化の時代の経済運営研究グループ(一五回)
五五・七・一二 報告書提出(伊東臨時代理)
(8) 科学技術の史的展開研究グループ(一三回)
五五・七・一〇 報告書提出(伊東臨時代理)
(9) 多元化社会の生活関心研究グループ(一四回)
五五・七・一四 報告書提出(伊東臨時代理)
政策研究会は、その性格上は大平総理の私的な諮問機関である。
しかし、九つの研究グループの報告書はいずれも来たるべき二十一世紀に向けての政策運営に当たって貴重な参考となるものであり、故大平総理の日本国民に対する最後の贈り物として、新内閣においてもこれをできるだけ尊重していくこととなるであろう。
なお、各研究グループの報告。提言が提出された都度、これを「十分に検討し、政策運営に当たって参考にするよう」との大平総理又は伊東総理臨時代理の指示を、内閣審議室長名で全省庁に対し公文書により連絡したところであり、各報告・提言についての具体的な検討及びその行政施策への反映については、関係各省庁において行うこととしている。
二、各報告書の提言内容
すでに述べたように、故大平総理はその全生涯を賭してわが国政局の安定と自由民主党の再生をめざすとともに、明治百年の近代化の時代を超える、二十一世紀のためのビジョン作りにその情熱を燃やし続けてこられたのである。大平総理なきあとに残されたこの九巻の報告書は、その意味では故大平総理の次代への贈り物であり二十一世紀のための政治的、文化的遺産ともいうべきものであろう。政局の安定と挙党一致体制の確立という故大平総理の第一の遺志が実現されたいま、政府・自由民主党は二十一世紀のための国づくり・町づくり・村づくり・人づくりといったビジョンや政策レベルにおける故大平総理の第二の遺志をもしっかりと引き継いでいくべきであろう。
自由民主党三百万党員はこれら九巻の報告書に結晶されている現代の英知にしっかりと学び、これを糧として日本の未来に責任ある政党として新たなる政策課題に取り組んでいかなければならない。そのための手掛りという意味で、以下に各研究グループ報告書の概要を説明することとする。なお、これら九巻の報告書は近く政府刊行物として出版される予定である。
一、文化の時代
(1) 日本はいま、国内的にも国際的にも、「文化」が要請される時代、即ち「文化の時代」となった。明治以来の、対外的劣等感とその裏返しである独善的優越感にとらわれた状況から脱却し、自己の文化を意識的に把握して自己の規範の根源を明確にすべき時代が到来したのである。
(2) 行政は、民間の文化創造のエネルギーを側面から支えて行く必要がある。明治以来の文化行政を教育行政の一部としてしか考えなかった状況を改め、固有の文化政策を確立しなければならない。
(3) 具体的には、「文化振興法」の制定、文化予算の大幅増額、文化行政への民間人の積極的登用、各省庁行政の文化的活性化と文化政策の総合調整体制の確立、民間活動に対する顕彰、地方における文化振興、国際文化交流の拡大などを進める必要がある。
二、田園都市構想
(1) 田園都市国家構想は、都市に田園のゆとりを、田園に都市の活力をもたらす、新しい国づくり、まちづくり、むらづくりの構想である。これは、狭い閉鎖的な地域主義への回帰をめざすものではなく、移動への欲求や選択の自由と多様性を保証する開かれた新しい地域主義をめざすものである。人口一〇~三〇万人程度の「地域中核都市」を核として、地方都市と農山漁村が融和し、一体となって形成されるこの新しい地域社会を「田園都市圏」と呼び、これを三〇年後までに二~三〇〇前後形成することとする。
(2) このため、①「文化の時代」、「地方の時代」の国づくりに見合った地域における文化活動の展開、②身近に豊かな太陽と水と緑を蘇生させるなど人間と自然の調和をめざす国づくり、③新しい中小・中堅企業の台頭など多彩な地域産業の新展開、④子どものためのまちづくりなど人間関係の潤いある社会づくり、⑤「地球社会」、「国際化の時代」に対応した世界に開かれた田園都市国家の形成、⑥田園都市国家構想推進本部の設置など田園都市国家のための行財政改革、などに努める。
三、家庭基盤充実
(1) 「機械の世紀」である二十世紀に対し、二十一世紀は「生命の世紀」である。この新しい社会へ向って家庭基盤の充実を進めていくに当たっては、各家庭の自主性と自立性、個性と多様性、地域社会との結びつきを尊重しながら、助け合いと連帯の中で開かれた家庭の形成を図らねばならず、また政策決定に関しての家庭基盤充実の視点からのアセスメントが必要である。
(2) わが国の家庭の現状をみると、平均世帯員数の減少、出生率の低下などの傾向がみられ、また、「見合い」の伝統や家族の強い一体感が残っているなどの特徴がみられる。
(3) 今後、個人や家庭の自立自助努力、相互扶助努力、公的な扶助の均衡と調和のとれた発展を図ることが望ましい。具体的には、物的・空間的基盤(住宅、コミュニティなど)、経済的基盤(雇用、資産形成など)、文化的・教育的基盤(情報サービス、学校・社会教育など)、安全保障的基盤(防犯、防災など)、時間的基盤(余暇、自由時間など)及び人間関係の基盤(職場、地域社会など)の整備を進める必要がある。
四、総合安全保障
(1) 現在の国際的状況として、軍事面ではソ連の軍備拡張、経済面では西欧諸国と日本の経済発展、また別の面で新しい南の勢力の台頭などにより「アメリカによる平和」の時代は終わり、各国が協力してシステムの維持・運営を行う「責任分担による平和」の時代に変わった。
(2) このなかで、わが国は、その国力を十分認識し、国力に相応した努力を払って、脅威そのものをなくするための国際環境を全体的に好ましいものにする努力、理念や利益を同じくする国々と連帯して安全を守り国際環境を部分的に好ましいものにする努力、及び脅威に対処するための自助努力に努めるなど総合的に安全保障政策を推進する必要がある。
(3) わが国の安全保障政策を進める上で基本的に重要なことは、①わが国の総合安全保障にとって最優先の課題である日米関係については、軍事的協力についてはより具体的な、しかも全体としてはより総合的な日米関係を構築すること、②装備購入費を中心とする防衛費の増額を含め自衛隊の「拒否力」を有意義なものとすること、③堂々として、しかも敵対的でなくソ連とつき合うこと、④エネルギー安全保障を総合的に進めること、⑥食糧安全保障を総合的に進めること、⑥大規模地震対策などわが国の危機管理体制の確立を図ること、である。
五、環太平洋連帯
(1) 交通・通信手段の著しい発達によって太平洋は内海と化した。太平洋諸国は経済の発展段階においても、人種・文化・宗教などにおいても極めて多様だが、いずれも活力とダイナミズムに満ち、大きな可能性を秘めている。そのような状況認識の下で、この地域に一つの地域社会を建設することが環太平洋連帯である。それは、現在かげりを見せているグローバリズムを再生させ、その新たな担い手となるであろう。
(2) 環太平洋連帯の課題として、国際交流・相互理解の促進(文化・教育・学術交流、観光)、地域研究の推進、人づくり協力・技術協力、貿易の協調・拡大と産業調整、資源開発における協力(エネルギー開発、海洋開発、農林水産協力)、資金の円滑な交流、交通。通信体系の拡充・整備(交通体系の整備、通信網の拡充、出入国制度の改善)を進める必要がある。
(3) 環太平洋連帯は、広く国際的討議を積み重ねながら、慎重かつ着実に行う必要がある。このため、まず関係諸国の識者から成る民間委員会を設け、各国への勧告などを行うことが望ましい。
六、対外経済政策
(1) 戦後三十年間の経済復興・高度成長を通じて、世界GNPの約一○パーセントを占める経済大国に躍進したわが国は、それにふさわしい国際的責任を果たす必要がある。このため、欧米諸国と連帯し、自由と互恵の原則を中心にした国際経済体制の発展のために必要なコストを分担することを対外経済政策の基本姿勢とするべきである。
(2) 具体的には、国際通貨制度、貿易・産業調整、経済安全保障、国際資本移動と直接投資、経済援助、先進国との関係の各分野において、国際協調に努めなければならない。
七、文化の時代の経済運営
(1) 高度産業社会、「豊かな社会」は、経済的にも、文化・社会的にも、国際的にも、様々な問題に直面している。
(2) 英、米、西独、仏の市場経済運営の実態は、各国の特質などに応じ、様々である。
(3) 近代日本の経済運営の基本姿勢は、民間の競争原理の刺激、企業努力の促進にあった。
(4) 「人と人との間柄」を大切にする日本文化の特質は、雇用の面では長期安定雇用制と年功序列制に、組織面では「リゾーム構造」、即ち「活力ある都分システムを持った分散型構造」に、市場での競争の面では「フェア・プレイ」ではなく「フェア・シェア」の追求に、というように、日本の経済システムにもよく反映されている。
(5) 来るべき二十一世紀における「名誉と活力ある生存」を確保するため、「人」と「文化」と「経済原則」の問の調和を、人間性、自主性、創造性、地域性、国際性の尊重という五つの基本理念に立って、求めていかなければならない。 具体的には、行政改革、経営改革、新しい生き方の追求、財政改革、金融自由化、新しい中小・中堅企業の振興、活力ある農業と豊かな農村の建設、日本社会の国際化、適正成長の確保と分配の公正のための施策の推進、を緊急の課題とすべきである。
八、科学技術の史的展開
(1) 対象(全体)を要素(個)に還元する「アトミズム」を基礎として成立した近代科学技術は、人類の知識を飛躍的に増大させ、巨大科学・巨大施設化のハード・パスをたどって、今日の物的豊饒をもたらした。しかし、このアトミズムは、全体との関係における調和よりは個や要素を追求することによって今日、環境破壊、資源・エネルギーの消耗など地球的問題を招来することとなったが、これは「地球の有限容量」の壁に突き当ったことに起因するものである。現代において「科学技術の停滞」といわれているのは、このようなアトミズムやハード・パスの行きづまりを示すものであろう。
(2) このような反省の上に立ち、人類の福祉、文明の質を高めていくためには、全体と個、種と個体との関係、間柄を重視し、その調和を図る「ホロニック」な考えに立ち、今後科学技術が目指すべき新しい途として、ホロニック・パス(holonic path)を選択すべきである。
(3) この新しい途は、自己を絶対視せず物事を相対化するとともに、人と人との間柄を大切にして個としてより仲間と一緒に行動する特質を持つわが国に適したものである。
(4) 今後の対応としては、研究機関の多様化と役割分担など研究体制の整備、科学ジャーナリズムの役割の強化、専門分野相互の学際的協力、科学技術行政における関係省庁間の連絡調整の緊密化などに努める必要がある。
九、多元化社会の生活関心
(1) 人々の生活関心を把えるには、世論調査などマクロ的方法と、個別観察や直観的洞察力などミクロ的方法を、組み合わせて利用することが必要である。
(2) 国民の生活満足感を規定している価値観の変遷をみると、最近の日本人には「伝統回帰」の志向がみられる。また、満足度調査によれば、日本人の生活満足度は高く、なかでも「家庭」を最も大切にしていることがうかがえる。
(3) 国民の生活意識の変化は若者から始まる。そこで、現代の若者の意識をみると、物事を論理よりイメージで把える傾向、勤勉・禁欲よりも情緒・快楽を基準として行動する傾向、自己中心的で自分を保留しておく傾向がみられる。
(4) 政治意識についてみると、政治や政治家への期待と批判の高まり、参加への意欲と無関心の高まりなど、拡散と矛盾の様相を呈しており、これが「政治不信」の要因となっている。また、日本では、政党支持の要因が極めて複雑になっている。
(5) 多元化社会では、国民の現実の姿、関心の所在を正しくつかむことが政策形成に特に重要だが、世論調査は一つの参考資料にとどめ、具体的政策決%定は政策形成者の自らの責任と判断で行うべきである。同時に、政策形成者は、常に国民への説明と民意の掌握に努めなければならない。